5-7 納入品は木の板だけど財宝?

大御堂の裏につくられている宝物館
大御堂の裏につくられている宝物館

 

百花さん 願成就院の仏像には、銘文はないの?

ゆいまくん 像本体に直接書かれた文章はないけど、像内に納入品があるんだ。
 平安時代後期以後、寄木造や割矧造(わりはぎづくり)の技法が発達して、内ぐりを大きくとるようになり、内部に生じた大きな空間に何かを納めるということが行われるようになるんだ。納入品は造像と並行して制作され、完成前に納められるものだけど、後世の修理時に追納されることもある。
 願成就院の仏像の納入品は造像時のものであり、とても貴重なんだ。

百花さん どんなものが入っていたの? 「とても貴重」っていうなら、高価な宝物か何かだったりして。でも、それって仏像の中に納められているんだから、見ることはできないんだよね。

ゆいまくん いや、見ることができるよ。でも、木の板だから、残念ながら高価な品ではないんだ。あ、でも金銀財宝と言っても間違いではないかも。

百花さん えっ、どういうこと? 木の板だけど、金銀財宝?

ゆいまくん とにかく見に行こう。
 たしかに、像内納入品を直接見ることができる機会って、なかなかないよね。修理や調査の際に取り出されることがあっても、終わると元の像内に戻すか、戻さない場合でも別の場所で厳重に保管することが多いからね。でも、願成就院ではこの大御堂の裏手の宝物館で見ることができるようにしてくださっているんだ。

百花さん お堂の裏って、ここね。こぢんまりとかわいらしい宝物館ね。
 展示ケース内に字が書いてある長い板が4枚ならんでいるけど、これ? どう見ても木よね。宝には見えないけど…
 あと、運慶の仏像は…阿弥陀さまと毘沙門天、お不動さま、そして二童子だから、5体よね。なのに、板は4枚なのね。不思議~。

ゆいまくん 阿弥陀如来像だけは納入品がないんだ。一番大切な本尊にだけこめなかったということは考えにくいので、いずれかの時代に失われてしまったのだろうね。坐像で、底が開いている構造だから、他の像よりも納入品が保たれにくかったのだと思うよ *。

百花さん 4枚のうち、大きい2枚は不動明王像と毘沙門天像の納入品ね。あとの2枚は童子像に入っていたのね。童子像の2枚は不動、毘沙門に入っていたものより小型で、さらにその2枚にも大きさに違いがあるのね。これは… あ、やんちゃな制吒迦童子は体をかがめて勢いを出しているから、その分短いのになっちゃったのね。動きに合わせて大きさを調整してもらった木札をずっと体の中に入れてたんだね。なんだか微笑ましくなっちゃうよ **。

ゆいまくん これらの木の板は、木札(もくさつ)と呼ばれているんだ。どの札も表裏に文字が書かれていて、若干の異同はあるけど、ほぼ同じ文面なんだよ。この宝物館では、4枚のうち、2枚ずつ表側、裏側を上にして展示してくれていて、何が書いてあるかがわかるんだ。
 じゃあ、百花さんに問題だよ。どちらが表かな。

 


百花さん 片方の面はびっしりと文字がつまっているけど、まったく読めないよ。これ日本語じゃあないよね。何語? もう一方の面は、文字が少ないし、漢字で書いてある。私でも少しは読めそうだよ。まず、年月日が書いてある。その下には、…あっ、「時政」の文字がある! あああっ! その右に書いてあるのは「運慶」じゃないの? すごい、すごい!

ゆいまくん そう、この木札には、願主と仏師、年も書かれていて、本当に貴重だよね。
 上の方は、板を切り取って面白い形にしているでしょ。そこに穴があいているのがわかる?

ももかさん うん、4つ小さい穴がある。おや、読めない文字の方の面にはもう1つ、少し大きい穴もあるね。

ゆいまくん 4つの穴のまん中あたりに開けられたちょっと大きめのくぼみは、おそらく舎利を納めたあとだね。舎利は今は失われてしまっているけどね。で、4つの穴は、納めた舎利をふさぐ蓋をつけたあと。舎利とは、お釈迦さまの遺骨のことなんだ。だから、舎利を納めた穴のある方が表。年月日や人名が書かれた方は裏とわかるんだ。

百花さん じゃあ、難しい、読めない文字がびっしり書いてある方が表なのね。

ゆいまくん この文字は、梵字(ぼんじ)だよ。インドの聖なる文字なんだ。そして、ここにぎっしりと書かれているのは「宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに、正式には「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼」という)」といって、これは仏さまの真実の言葉なので、あえて漢文に訳すことをせずに梵字で表記しているんだ。そして、この言葉を仏像に入れると、像は七宝(金、銀などの7種類の宝)と化し、その像に祈る者の願いはことごとく聞き届けられると経典に書いてあるんだ。

百花さん あ、納入品は木の板だけど、宝ともいえるって、そういうことね。聖なる文字で書かれた木の札を納めた仏像は、もはやただの像ではなくて、全体が宝物と化しているって昔の人は信じていたのね。

ゆいまくん それだけじゃあないよ。上部が丸や三角の形にきれいに整形されているのは、五輪塔の形なんだ。五輪塔は、供養塔やお墓として石でつくられることが多いんだけど、下から順に地、水、火、風、空を意味している(そこに書かれている梵字もそれぞれをあらわしている)。宇宙はこの5大元素によってつくられていると、かつては考えられていたんだ。つまり、五輪塔は宇宙のすべてをあらわし、密教において根本の仏である大日如来は宇宙そのものと考えられていたので、木札のこの形は大日如来を象徴しているともいえるんだ。
 五輪塔の形にした板を使い、宝篋印陀羅尼を書き、舎利までこめて像内に納めたのは、仏像をほんとうの仏とするための工夫だったというわけなんだよ。

百花さん えっと…「仏をつくったのに、魂入れずに何してるんだい」みたいなことわざがあったよね。これは、まさにその真逆だね。願成就院の仏さまたちは、魂をこれでもかってくらいに入れてつくられていたのね。

 

 


(注)
 * 以後の運慶作の坐像の仏像は、腰のあたりに意図的に彫り残しをつくって、納入品を守る構造となるが、この像は像底が開いている。

** 木札はヒノキ製。不動明王像と毘沙門天像のものは、縦が70センチ余り、幅が約9センチ、厚みが約1センチ半である。この2つは江戸時代の修理時に取り出されたのだが、現在ではどちらが不動明王の分で、どちらが毘沙門天像の分であるかわからなくなってしまっている(後述)。矜羯羅童子像から取り出された木札は縦40センチ余り、幅は5センチあまり、制吒迦童子像から取り出された木札は縦約34センチ、幅は5センチ弱で、厚みは共におよそ1センチ。なお、二童子の木札には舎利をこめたくぼみはない。