5-4 阿弥陀如来像の顔の修理のあと、これも信仰のあかし

やや沈んだ表情の阿弥陀如来像の顔
やや沈んだ表情の阿弥陀如来像の顔

 

百花さん 阿弥陀さまの説法印については議論があるということだけど、それはともかくとして、この手の形、とてもいい感じね。腕が太くて、とてもたくましいけど、すーっとこちらにむけて差し出されているようにも見えて、人びとを救ってくださる阿弥陀さまのやさしい導きの手っていう気がしてくる。この仏さまのもつ独特の雰囲気、力強いけど温かみのある感じっていうのかな、そういうのが前に出した手からこっちの方へと届けられているみたいで、とてもステキ(♡)。
 でも、指先は? 親指ともう一本の指で丸をつくるのが阿弥陀さまのしるしだったよね。でも、この手は痛んでしまっているのかな。

ゆいまくん 指先は壊れているんだ。
 願成就院は北条氏の氏寺だから、鎌倉幕府とともに北条氏が滅亡したのちは、しだいに寺運が傾いていったんだ。戦国時代に戦火に巻き込まれてしまい、江戸時代前期には、かなり衰退してしまっていたらしい。その間にこの像は激しく前方に倒れたか、あるいは柱や梁の直撃を受けたものか、ともかく像前面に大きな打撃を受けて、指先が壊れ、髪も削れたあとが残ってしまっているんだ。実は、お顔の中央も衝撃を受けているんだけど、割れたり削れたりしたあとが見えないのは、修理されているからなんだよ。

百花さん たしかにこの仏像、体ははちきれそうなほどの生命力が感じられるし、ほおも豊かなふくらみがあるのに、目鼻立ちはちょっと控えめっていうか、魅力的でない気がする。あ、仏さまに対して魅力的じゃないなんて、失礼よね。でも、全体の中で顔つきだけ迫力に欠けていて、アンバランスっていうか。それは、あとで直されたためなのね。

ゆいまくん この仏像が大きく損傷を受けたとき、お寺自体も衰退していて、像を新造したり、破損した箇所すべての修理を実施したりすることはできなかったんだろうね。でも、お顔だけは壊れたままにはしておくことは忍びなくて、そこだけ何とか修理の手を入れたのだろうと思うよ。
 特に大きな変更が加えられたのは目なんだ。この仏像は、本来は水晶を用いてリアルな目の表情をつくりだしていたんだけど、修理の際に、木を当てて削り出した目のように改作されているんだ *。また、もともとは三尊像だったのが、脇侍の菩薩像が伝来していないのも、この時被害にあったためなのかもしれない。こうした困難の中を、この像はからくもくぐり抜けて、今日へと伝わったんだ。
 修理されたこのお顔も、精一杯に行ったその時代の信仰の証しなんだよ。それはとても尊いことだし、もしも壊れたままで放っておいたとしたら、損傷がさらに進んで取り返しのつかないことになったかもしれない。

百花さん つくられてから現在まで、長い年月の間に痛んだり、災害にあったり、それを修理したりと、時間と人の手が加わって、今見ているような像の姿となってここにあるっていうことね。
 でも、本来の顔立ち、見てみたかったなあ。このボディにふさわしい力強い表情で、水晶を使った目は輝いていたのでしょうね。

ゆいまくん 薄く削った水晶を内側からあててつくられた仏像の目を、玉眼(ぎょくがん)というんだ。これは、平安時代の末期に奈良仏師によって生み出されたものと考えられているんだ。

百花さん 玉眼は日本で生まれた工夫なのね。

ゆいまくん 目となる部分の内ぐりを深くしていって、上まぶた、下まぶたの間を貫通させ、内側からレンズ状に磨いた水晶を当てたもので **、像をいっそう真に迫る姿とするために生み出された、本当にすぐれた技法なんだ。
 鎌倉時代以後の木彫の仏像では、玉眼の仏像が多数を占めていてね、中でも運慶はこの技法をたいへんみごとに、効果的に用いたんだ。
 残念ながら、阿弥陀如来像の玉眼は失われているけど、左右に立つ像には玉眼が使われているんだ。次は、そちらを見ていこう。

百花さん 阿弥陀如来像の左右の仏像、とても強そうね。これも運慶作の像なのね。これらの像は、顔つきがきりりとキマっていて、玉眼が一役買っているのね。

ゆいまくん 向かって左は毘沙門天像、右側に立つのは童子像を従えた不動明王像という名前の仏像なんだよ ***。

 

 


(注)
* 阿弥陀如来像の顔は、鼻は後補。目は眼窩に後補の薄板を当てて、そこに目を刻んでいる。この眼窩の穴は、本来は玉眼のためのものと考えられている。

** 薄く削り磨いた水晶の内側には瞳を描き、真綿や和紙など白い素材を付けて白目とし、木片でずれないように固定してつくられている。

*** 像高は毘沙門天像は約148センチ、不動明王像は約137センチ、矜羯羅童子像は約74センチ、制吒迦童子像は約83センチ。樹種はいずれもヒノキ。毘沙門天像は寄木造。不動明王像、二童子像は割矧造。
なお、かつては向かって右に毘沙門天像、左に不動明王及び二童子像が置かれていたが、現在は「伊豆堂供養表白」の記述に従う形で、両像の位置を入れ替え、安置している。