5-6 不動明王と二童子像の造形にも工夫がたくさん

二童子を従えた不動明王
二童子を従えた不動明王
不動明王像頭部
不動明王像頭部

 

百花さん じゃあ、向かって右側の像は? 怒りの表情をしているから、この像も天部の神さま? でも、毘沙門天像と違って鎧は着ていないのね。

ゆいまくん こちらは不動明王像だよ。「お不動さま」「不動尊」として信仰されている仏さまなんだけど、聞いたことないかな。

百花さん あー、あるかも。でも、明王って何?

ゆいまくん 明王というのは、密教の仏さまなんだよ。
 奈良時代までは、仏像というと如来、菩薩、天部という3つの種類だったのが、平安時代のはじめに空海がまとまった形で密教を伝え、それ以後、明王の像もつくられるようになったんだ。
 明王は、上半身には細い布をたすきにかけた条帛(じょうはく)を、下半身には巻スカートの裙(くん)を着けていて *、菩薩像の姿に近い。でも、菩薩像が優しい顔立ちをしているのに対して、明王像は怒りの表情をしているところが違っているんだ。衆生を悟りへと導く如来のはたらきを、菩薩は慈悲の相によって、明王は忿怒(ふんぬ)の相によってと、いわば分け持っているんだ。

 

 

百花さん 菩薩はやさしく、明王は厳しく導くということね。やさしいマネージャーさんと鬼コーチっていうところかな。ま、私はやさしいのがいいけどね。きびしくされると、すぐに嫌になっちゃう。ということで、私は菩薩を専属にします! さよなら、明王さん。

ゆいまくん おやおや。でもね、たとえば子どもが道路に飛び出して、命の危険が迫っているって親が知ったら? そんな時にやさしい顔なんかしていられないよね。ものすごい形相になって、助けに走るんじゃないかな。明王の怒りの表情は、今まさに煩悩の炎に焼き尽くされようとしているあわれな衆生を何とかして助けたいと願う、必死さのあらわれなんだよ。

百花さん そーかぁ。じゃあ、明王の怒りも、要は救いたいという願いがもとにあるってことね。

ゆいまくん 明王の中でも最も有名で、たくさんの信仰を集めているのが、不動明王なんだ。不動明王は、手には剣と縄(羂索)を持ち、髪の一部を細く垂らし、火焔の光背を背負い、岩の台座に乗る姿であらわされるんだよ。
 この垂らした髪は弁髪といって、奴隷であることを示すものなんだ。不動明王は、密教の中心の仏、大日如来に使われるもので、顔立ちや体つきは醜いとされているんだ。でも、大日如来の化身ともされているんだよ。

百花さん 奴隷としての特徴を持つのに、実は如来の化身だったりもするのね。この不動明王像も、顔つきこそ強い怒りがあらわれているようだけど、全体に気品があって、勇ましくて美しい像ね。肌をあらわにした右肩から胸にかけては、ほんとうに力がみなぎって頼もしくて、下半身の衣の直線的な襞(ひだ)のつくりかたもカッコいい!
 お不動さま、左右に小さな像を従えているのね。これは誰? なんか、子どもみたい。

ゆいまくん 彼らは不動明王が使っている手下のようなものなんだ。こうした従属する身内を眷属(けんぞく)というんだよ。
 不動明王像に向かって右斜め前に立つのが矜羯羅(こんがら)童子、左側が制吒迦(せいたか)童子、それぞれ像高は80センチくらいだよ。

 

制吒迦童子像
制吒迦童子像
矜羯羅童子像
矜羯羅童子像

百花さん 矜羯羅と制吒迦? 不思議な名前ね。いい覚え方はないの?

ゆいまくん ない。あっても教えない。また変な節つけて、歌ったりするから。

百花さん じゃあ、いい。自分で考えつくから。えっと、こんがら、こんがら…んもー、頭がこんがらがる!

ゆいまくん …矜羯羅と制吒迦は、どちらも「召使い」といった意味があるらしいよ。不動明王の意を受けて動くものということだね。

百花さん 不動明王は大日如来によってはたらき、童子たちは不動明王の命でかけずり回っているのね。仏教界も指令を出したり、下で支えたりと、たいへんね。煩悩まみれの人間が多すぎるから、大忙しなのかな。でもその割に、右(向かって)の童子、矜羯羅童子だっけ、ぼーっとして、気が抜けているみたい。この子、これでお不動さまの役に立つのかな。その点、左の童子はやる気満々だね。

ゆいまくん 実はこの二童子、性格が正反対なんだよ。矜羯羅童子は従順なんだけど臆病、一方の制吒迦童子は、やんちゃで生意気なんだ。

百花さん どちらも少々難ありなのね。でも、いいね。でこぼこがあっても、補い合えば大きな力が発揮できるってことなんだろうね。こういうの、励まされるー!

ゆいまくん 不動明王と二童子を三尊形式にしてまつることはそれ以前からもあったんだけど、童子たちの性格の違いをこれほどくっきり対比させた彫刻作品としては、この像がおそらくはじめてのものなんだ。
 さらに、不動明王像の左右の手も、少し高めに上げて持物をとっていて、斜め下に置かれた二童子を合わせるととても安定感のある三角形のような構図となっているよね。運慶は木を彫り出すだけでなく、空間全体を扱うことに本当に長けた仏師だったと思うよ。

百花さん なーる。運慶のすごいところが、見れば見るほどどんどん発見できるって感じだね。
 ところで、阿弥陀さまの左右にお不動さまと毘沙門天をまつったのも、意味があるの? 不動明王は大日如来の化身だから、仏さまとしての位置づけはとても高いわけでしょ。でも、天部の神さまはどちらかといえば人間に近いんだよね。そうすると、左右で釣り合いがとれていないってことにならないかな。この組み合わせも、時政なり運慶なりが選択したんだよね。

ゆいまくん 不動、毘沙門の組み合わせは、経典等に典拠があるわけじゃなくてね、平安時代に天台宗の比叡山延暦寺ではじまったと考えられているんだ **。

百花さん ふーん。さっき、玉眼は日本で考案されたって話、聞いたけど、こういう尊像の組み合わせ方も、日本独自っていうものがあるんだね。

ゆいまくん 幸いにも、願成就院創建の際に執り行われた法要で読まれた表白文(ひょうびゃくもん)の草稿が伝わっているんだ(『転法輪鈔』中の「伊豆堂供養表白」***)。それには、不動明王は如来の化身として、あらゆる魔を屈服させて救いを求める者を助け導き、毘沙門天は仏法を護持する大将であると書かれている。確かに、明王と天部では仏の尊格は異っているけど、怒りの表情で仏敵を打ち破る勇ましい存在であることは共通しているし、鎌倉幕府を支える重要な武士である北条時政のお寺に安置するのにふさわしい像としてこれらの像が安置されたのだろうね。
 同時に、説法印の阿弥陀如来像が往生の確定を約束する印相として用いられていたとすると、その脇仏としてつくられた不動明王像、毘沙門天像は、極楽往生するための守護者という意味をもつものであったと考えることができそうだね ****。

 

 


(注)
* 願成就院の不動明王像(二童子像も)は、裙の上から腰まわりに布を1枚巻いている。運慶は菩薩、明王、童子像などをつくる際、しばしばこの腰布を着けた姿としている。

** 毘沙門天は観音の代理となって救いに導くという信仰によって、観音と毘沙門天がつながり、のちに不動明王がこれに加えられたという流れが想定されている。さらに、本来は観音を中心とする組み合わせであったものが、このお寺のように阿弥陀如来像を中央にしたもの、また別の尊格を中心に配置されるものも登場し、天台宗以外にも広がりをみせるようになっていったらしい。

*** 表白文とは、法会の主旨を仏前で読み上げ、参加者に伝えるための文章のこと。願成就院の法要での表白文が載る『転法輪鈔(てんぽうりんしょう)』の作者は天台宗の澄憲(ちょうけん)で、仏教の教えを節や抑揚をつけて語る唱導(しょうどう)の名手であった。「伊豆堂供養表白」で述べられている内容は、お堂や仏像をつくることの功徳、特に辺地に仏の教えを伝える功績、阿弥陀仏をまつることの意義、建立の功徳は主君頼朝にささげられるものであること、さらに後白河法皇の長寿、天下の安穏、そして北条氏の繁栄を願うというものである。ただし、これはあくまで草案であり、実際に願成就院の供養にあたってこの通りに語られたのかどうかはわからない。

**** 安楽寿院(京都市)に伝わる仏画「阿弥陀聖衆(しょうじゅ)来迎図」(鎌倉時代初期ごろ)は、説法印の阿弥陀如来を中心に諸菩薩がにぎやかに描かれた来迎図であるが、画面右下には不動明王が、左下には毘沙門天が描かれる珍しいものである。不動明王と毘沙門天は、往生者を魔から守り、極楽往生を助ける存在として信仰されていたことがうかがえる。