5-5 毘沙門天像-写実と理想の両立

毘沙門天は多聞天の別名
毘沙門天は多聞天の別名

 

百花さん 中尊に向かって左側に立つ像は、毘沙門天というのね。天とつくんだから、天部の神さま、仏教の守護神ということね。鎧をつけ、武器を持っていて、興福寺南円堂で拝観した四天王像と同じ姿ね。

ゆいまくん 実は毘沙門天は、四天王の一員なんだ。ヒントは持物(じもつ)。右手は長い柄のついた戟(げき)という武器をもっているけど、じゃあ左手は? 何を持っているかわかるかな。

百花さん 左手は… 肩のあたりの高さまで上げた手で、小さな建物のようなものをささげ持っているよ。あっ、南円堂の四天王の中にも同じようなのを持っていた像があったような… 確か、お釈迦さまの遺骨を奉じているから、四天王のリーダー格だって聞いた気がする。えっと、四天王は「じ・ぞう・こう・た」で、その中の「た」だから…多聞天っ!

ゆいまくん すごい! 百花さん、よく思い出したね。四天王のうち、北方を守護する多聞天は、宝塔を掲げる姿であらわされることが多いんだ。これは釈迦の遺骨、つまり舎利(しゃり)を護持していることを意味する。多聞天には別名があってね、それが毘沙門天なんだよ。

百花さん 別名? 仏像の名前って普段使わないし、はじめて聞くものが多くて覚えるのが大変なのに、その上別の名前まであるなんて、やめてほしいなあ。それに、多聞天以外の三天王(?)は一緒じゃないの?

ゆいまくん 四天王のうちの多聞天だけが、独尊でまつられることがあるんだ。その場合、毘沙門天という名前で呼ばれるんだよ。

百花さん ソロで人気が出て、あとのメンバーは取り残されちゃったアイドルグループみたい。

ゆいまくん 変なたとえはやめてほしいな。さあ、とにかく毘沙門天像をよく見てよ。どんな印象かな。

百花さん …ちょっと待って。うまく言葉にできないよ。
 えーとねぇ、とにかく迫力がある。迫力? 真に迫っているっていう方がぴったりしているかな。あ、わかってきた。ムダがないんだ。余計なところが削ぎ落とされていて、カッコよさの本質がずばり、あらわれている。そんな気がする。
 興福寺南円堂の四天王像と比べて考えると、南円堂の像の方が顔がごつごつとしていたり、鎧の金具が細かくつくられていたり、あと体の動きもいろいろと変化に富んでいたよね。こういうのって、強くてかつ華やかに見せたいという工夫よね。
 それに対して、この毘沙門天像では違う方法で強くたくましい像を実現している気がする。たとえば、顔。ほおやほお骨のでっぱりは強調しているけど、なるべく単純な面で構成して、迫力は内部からにじみ出ているみたい。鎧は、金具の模様など装飾は控えめにして、その中にたくましい肉体が脈打っているようにつくっている。体は、芯が一本びしっと通っていて、堂々とした立ち姿がいかにも頼りがいがあるって感じね。
 南円堂の四天王像もよかったけど、この像は「別次元」だね。すごいね、運慶。すごっ!

ゆいまくん そうだね。そんなには激しい動きはしていないのに、全身に力が満ちていて、こちらに向かって寄ってくるような気がするほどだよね。
 両腕の構えもとてもいいよね。左の腋(わき)は閉め、右腕は横へと出して肘を鋭角に曲げ、戟(げき)という武器をもつ。この戟の下端を邪鬼が握っているんだ。

百花さん ちょっと見えづらいけど、邪鬼を踏んで立っているのね。

ゆいまくん この毘沙門天像は2匹の邪鬼を踏んでいるんだけど、邪鬼の体勢もなかなか面白いんだ。毘沙門天が持つ戟は向かって左側の邪鬼の肩に下ろされていて、その端を右の邪鬼が腕を伸ばしてつかんでいるんだ *。

百花さん ねぇ、鎧を着けて武器を持ち、敵を足の下にねじ伏せて強い気を全身から放っているこの姿って、理想の武士像なんじゃないかな。もしかして、この像にはモデルがあったんじゃないの。それはズバリ、北条時政だったりして。

ゆいまくん 運慶が鎌倉武士を理想化した姿を念頭に置きながら、制作を行ったということはあったかもしれないね。

百花さん 武人の姿を生き生きと写し取っているわけだから、写実的な彫刻ってことだよね。でも、あるがままではなくって、理想化することで天部の神さまの姿となるわけだから、それを単に「写実」って言ってしまうと、違う気もする。
 運慶は、写実的であることと、あるべき理想の姿を追求することの両方を妥協なく極めていこうとしたんだね。それで、こんなに迫力があって、気品も備わるすぐれた仏像をつくりあげることができたんだね。

 


(注)
* 邪鬼は当初のものだが、顔面などは後補。

2匹の邪鬼に乗る毘沙門天
2匹の邪鬼に乗る毘沙門天