5-13 願成就院の運慶作仏像関係年表

 

1138年 北条時政、生まれる。
1151年 奈良・長岳寺の阿弥陀三尊像が造り始められる。玉眼を用いた仏像で年が判明しているものとして最古。作者は不明だが、奈良仏師と推測されている。
1160年 源頼朝、伊豆に流刑となる。
1175年 運慶、奈良・円成寺の大日如来像を造り始める。(翌年完成。運慶の事績のはじめ)
1180年 源頼朝、伊豆で挙兵。石橋山の戦いで頼朝軍敗れ、北条時政の長子、北条宗時討死。
1181年 平家の軍勢によって興福寺、東大寺が焼かれる。(南都焼打ち、治承4年=1180年だが、12月なので、今の暦に直せば1181年1月)

1185年(元暦2年3月) 平家滅亡
1185年(文治元年10月) 鎌倉の勝長寿院完成。仏像は成朝の作
1185年(文治元年11月) 北条時政、頼朝の命で上洛
1186年(文治2年1月) 運慶、興福寺西金堂本尊の釈迦如来像をつくる。(頭部、飛天が現存)
1186年(文治2年4月) 北条時政、鎌倉に戻る。
1186年(文治2年5月) 北条時政の依頼によって、運慶が仏像をつくりはじめる(現在願成就院大御堂に安置されている諸仏像)。
1186年(文治2年7月) 奈良の正暦寺正願院の弥勒像供養(運慶作、現存せず)
1189年(文治5年3月) 運慶、和田義盛の依頼によって仏像をつくる(浄楽寺安置の阿弥陀三尊像、不動明王像、毘沙門天像)。
1189年(文治5年6月) 北条時政、願成就院を建立。運慶作の阿弥陀三尊像、不動明王二童子像、毘沙門天像を安置(阿弥陀三尊像の両脇侍像は現存せず)
1189年(文治5年9月) 奥州藤原氏滅亡
1189年(文治5年9月) 康慶、興福寺南円堂の不空羂索観音像、四天王像、法相六祖像を完成させる。
1189年(文治5年11月) 北条時政、願成就院の北側に頼朝のための宿館を築く。

1193年 運慶、父康慶の譲りで法橋になる?
1195年 運慶、父康慶の譲りによって法眼になる。
1199年 源頼朝、死去
1200年 北条時政、頼朝のために築いた願成就院北側の宿館を寺に改める。
1200年 北条時政、従五位下遠江守となる。
1203年 運慶、快慶らとともに東大寺南大門金剛力士像をつくる。
1203年 運慶、法印となる。
1205年 北条時政、出家。時政、子の政子・義時によって伊豆に引退させられる。
1207年 北条時政、願成就院の南傍に塔を建てる。供養に参加した僧閑谷が、願成就院は伽藍が整備され、舟を浮かべる池もあったと書き残す。(『閑谷集』)
1212年 運慶、子の湛慶ら一門を率いて興福寺北円堂の弥勒如来像などをつくる。
1215年 北条時政、死去
1215年 北条義時により、願成就院南新御堂がつくられる。
1216年 運慶、源実朝の持仏堂の釈迦如来像をつくり、京から鎌倉へ送る。
1224年 運慶、死去(貞応2年12月、貞応2年=1223年だが、12月は今の暦に直すと1224年1月)
1230年 北条泰時により、願成就院に「北条御堂」がつくられる。
1236年 願成就院で北条義時の13回忌がとり行われる。北条泰時により、願成就院の北側に塔がつくられる。(この後、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鑑』に願成就院の記載なし。北条氏の氏寺としての役割低下か)

1333年 鎌倉幕府滅亡
1491年 願成就院、伊勢盛時(北条早雲)と堀越公方の戦いの舞台となり、戦火を受ける。
1752年~1753年 河内狭山藩主北条氏貞により願成就院の復興がなされる。不動明王像、毘沙門天像の銘札が取り出される。
1789年 願成就院本堂再建
1919年 願成就院の阿弥陀如来像を国宝に指定。不動明王像、毘沙門天像から取り出されていた木札を国宝に指定(戦前の制度、現在の重要文化財)

1959年 横須賀市の浄楽寺の諸像から木札が発見され、運慶作と知られる。

(これをきっかけに、願成就院の仏像が広く運慶作と認められていく)
1961年 願成就院大御堂をつくり、運慶作の仏像を安置
1972年 願成就院の阿弥陀如来像を修理
1973年 願成就院境内と周辺を「願成就院跡」として史跡に指定
1975年 願成就院の不動明王及二童子立像、毘沙門天立像が重要文化財に指定される。
1977年 願成就院の不動明王像、二童子像、毘沙門天像を修理。二童子像の像内から木札が取り出される。
1996年 「北条氏邸跡」が史跡に指定される。
2005年 史跡「北条氏邸跡」の名称を「北条氏邸跡(円成寺跡)」と変更
 *円成寺(えんじょうじ)は北条氏邸があった場所につくられた尼寺(奈良の円成寺とは別寺院)。鎌倉幕府滅亡後、ゆかりの女性たちが移り住む。15世紀末ごろまで存続か。
2013年 願成就院の阿弥陀如来坐像、不動明王及二童子立像、毘沙門天立像が一括で国宝指定される。
2022年 願成就院の阿弥陀如来坐像の台座、光背を新補。また、不動明王二童子像と毘沙門天像の立つ位置を交代。