9-6 六観音像の願主と北野経王堂について

馬頭観音像
馬頭観音像


百花さん じゃあ、この六観音像をつくらせた人は誰なの? それはわかっているの?

ゆいまくん 六観音像にはそれぞれその観音と関連がある短い経巻が納められていて *、そのうちの馬頭観音像と如意輪観音像に納入された経典の奥書(おくがき、巻末に書かれた記述)に、つくらせた人物の名前が書かれているんだ。藤原以久(もちひさ)と女大施主藤氏だよ。この女大施主は名前は書かれないが、おそらく藤原以久の妻、つまり夫妻で仏像をつくらせたということだね。一般に造寺造仏などの行為は願い(願意)を込めて行われるわけだけど、それについては馬頭観音の納入品奥書に、すべての衆生の六道輪廻からの救済を願う言葉が書かれているんだ **。

百花さん へー、夫婦で願主か。なんかいいね。で、像をつくるにあたって願ったのは、すべての衆生が救われること? 自分とか家族、親族の救いや往生じゃなくて? 六道の世界すべてで苦しむ者のためにこの六観音像をつくらせたんだね。すごい人たちだなー。
 その藤原以久という人はどんな人なの?

ゆいまくん 今度は如意輪観音像の納入品奥書なんだけど、そこに「肥後前司藤原以久」と書かれているから、それ以前に肥後国(今の熊本県)の長官を務めていた人だったことがわかる。藤原氏に連なる一族ではあるけれども、朝廷のトップとかそこまで高位ではない地位、中級の貴族というところかな。

百花さん 膠を使わないとか、とても強い思いをもってこの六観音像をつくらせたのには、きっと何かがあったのだろうね。貴族として生まれたのに、民衆の苦しい生活を身にしみて知ったとか。順調に出世していたのに、突然思いがけない不幸に見舞われてとかね。何かそこにはストーリーがあるはず。そう、きっとある。ね。

ゆいまくん ねって言われても、本当にそれ以上のことはわからないんだよ、残念なんだけど。

百花さん 藤原以久とその妻の願いは馬頭観音の納入品にだけ書かれているんだよね。ということは、六観音の中でも特に馬頭観音を信仰していたってことは言えるんじゃない? 馬頭観音は、六道の中で畜生道の担当なんだよね。以久には何か動物を酷使して富を得たみたいな過去があって、悔やんでいたとか。だから仏像をつくる際にも動物から取った膠を使わずに進めようとしたんだよ、きっと。どうかな? …あ、ハイハイ。確かなことはわからないんだよね。んー、残念っ!
 でも馬頭観音の像、本当にカッコいいね。観音さまなのに、怒りの表情をしているんだね。これも畜生道に落ちた衆生を強く導くためなのよね。頭上には馬の頭がついていて、髪は逆立っているよ。眉はうんとあげて、牙まで出している。左右にも顔があって、それぞれの顔に目が3つついている! 手は6本かな。胸の下くらいで人差し指を合わせている手のしぐさはちょっと可愛いかも ***。わー、ずっと見入っちゃいそう。本当にこの六観音像、全体を見ても素晴らしいし、それぞれの像を見ても魅力的ね。
 あ、そうだ。藤原以久とその妻についてわかっていることは少ないということだけど、この大報恩寺に対して厚い信仰を持っていて仏像を納めたということは確かなのよね。

ゆいまくん ああ、実はそれは違うんだ。確かに六観音像がつくられたのは鎌倉時代前期の1224年、一方、大報恩寺が開かれたのも1220年代だから、年代的には重なっているけど、この六観音像はもとから大報恩寺にあったわけではないんだ ****。
 さっきこのお寺に入ってきた時、北野経王堂を受け継いだお堂や山名氏清という守護大名の碑があったのを覚えていないかい?

百花さん そんなのあったっけ? 桜とおかめさんと垂木のことは覚えているけど…

ゆいまくん …まあいいや。
 山名氏清というのは室町時代前期の強大な守護大名だったんだけど、明徳の乱を起こして敗死してしまう。乱を鎮めた室町幕府3代将軍の足利義満は氏清を哀れみ、また戦死者を悼んで大規模な供養を行なったんだ。そして、その法要を続けていくための施設としてこの近くの北野というところに経王堂というお堂をつくった。なんと、あの三十三間堂の1.4倍というからずいぶんと大規模なお堂だったんだよ。しかし、あまりに大きすぎて維持が難しくなったのか、江戸時代になって壊されてしまったんだ。
 六観音像はこの北野経王堂から大報恩寺に移されてきたんだ。だから、もとからこの大報恩寺にあったのではないし、さらにいうと、北野経王堂がつくられるより前、どこに安置されていたものかもわからないんだ。

百花さん うーん、六観音像はどういうお寺、お堂に安置するためにつくられたのかは不明ってことね。謎多き願主に謎多き仏像っていうわけか。くーっ。

ゆいまくん あ、そうそう。六観音像と一緒に地蔵菩薩像も国宝に指定されたんだよ。奥の壁に立っているこの像。六観音像とともに北野経王堂から移されてきたと考えられていて、確かに台座の形式も一緒、像高はちょっと低いけど、髪を高く結っている六観音像と頭を丸めている地蔵菩薩の差って考えると、よく合っている。全体の雰囲気、正面から見た顔のつくり、また像の構造にも共通点がある。

百花さん 確かに台座は同じだね。でも全体の雰囲気は同じ? ちょっと違っているように見えるけど…

ゆいまくん 一番違っているのは、地蔵菩薩像は彩色像だってことだね。この違いを重視すると、六観音像とはじめから一具だったのか、疑問もないではないけどね。でも、六観音像と地蔵菩薩像は同じ歴史の流れをたどって今ここにあるということは言えるんだ。

百花さん んー。また1つ、謎が増えてしまったような…

(注)
* 聖観音像に納められていたのは法華経普門品と消伏毒害陀羅尼経、千手観音像には千手観音陀羅尼経、馬頭観音像には馬頭念誦儀軌上巻・下巻、十一面観音像には十一面神呪心経、准胝観音像には准胝陀羅尼経、如意輪観音像には如意心陀羅尼呪経とそれぞれの像と関係の深い経典が像内前側の頭部か胸にとめられていた。このうち、奥書として年や願主の名が書かれていたのは馬頭念誦儀軌下巻と如意心陀羅尼呪経である。経巻は朱で書かれており、血書になぞらえたものと思われる。

** 藤原以久は藤原氏北家から分かれた越前斎藤氏の流れを汲んでいるらしい。父は藤原(斎藤)以利、『平家物語』に登場する滝口入道(斎藤時頼)はおじだという。経典の奥書には「藤原以久女大施主藤氏」(馬頭念誦儀軌下巻)、「肥後前司藤原以久女大施主藤氏」(如意心陀羅尼呪経)と書かれており、かつては「藤原以久のむすめの大施主藤氏」と読まれることもあったが、現在では「藤原以久と女大施主藤氏」と考えられている。なお、馬頭念誦儀軌下巻に書かれた願意は「利法界之郡類導無上菩提(法界の郡(群)類を利し、無上の菩提へ導く)」である。

*** 馬頭観音は、馬が濁水を飲み尽くし雑草を食べ尽くす様子から、あらゆる煩悩を断つ菩薩とされる。一面二臂像から四面八臂像までさまざまな像容があるが、本像のように三面六臂とする像が比較的多くつくられた。正面の二臂は馬の口を模した印相を結び、合掌から人差し指と薬指を折った形であることが多い。本像はてのひらを上に向け、親指と人差し指を伸ばし、他の指は軽く握り、人差し指の先同士を軽くつけているが、こうした印は珍しい。

**** 六観音像がつくられた1224年は大報恩寺の草創期にあたり、活発に堂像がつくられていただろうことを重視して、六観音像もまたもともと大報恩寺に安置するためにつくられたのではないかとする意見もある。(参考文献の『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』3の「99 大報恩寺 六観音菩薩像」の「備考二」参照のこと)

地蔵菩薩像
地蔵菩薩像