10-8 拝観を終えて-百花の感想


 仏法のためであれば、たとえどんなに大変なことが待ち受けていようとも行動あるのみ。
 本当にすごいお坊さんですね、鑑真さん。不屈という言葉は鑑真さんのためにあるんじゃないかって思いました。何度失敗しても、失明までしても諦めることなく日本に来てくれた。改めて感謝、感謝です。
 鑑真さんは日本に着いてからの活動を見据えて何を持参すべきか、周到に考えていらっしゃったのですね。苦難を乗り越えついに来日を果たしたのちは、戒律の教えを伝え、お坊さんを養成、認定する仕組みを整え、多くの人々に戒を授け、弟子を育て、お寺を開きと、短い期間で多くのことを成し遂げられました。日本の仏教文化を実のあるものへと引き上げてくださり、たくさんの人たちから慕われ、その死後には菩薩の境地に上った方として礼拝の対象にもなったと知りました。
 そして! 鑑真さんの来日は、日本の仏像の歴史にとっても大きな意味があったのですね。
 そうそう、鑑真さんは土の匂いでその土地が戒律の道場をつくるにふさわしいところかどうかを知ったという話がありましたけど、実は鑑真さんが嗅いでいたのは土よりも木の香りだったのかも。鑑真さんはカヤのかぐわしい香りを嗅いで、これこそ仏像をつくるにふさわしい木だと微笑んだのではないでしょうか。鑑真さんのイメージによく合う木材としてカヤが選ばれ、それが日本の一木彫の仏像の源流となっていったんだって私は理解しました。
 その鑑真さんの選択もあって生み出された仏像、すなわち草創期の唐招提寺でつくられたであろう仏像が近年国宝指定となったというわけです。

 ところが、それらの仏像はずいぶんと傷んだ姿をしています。最初は、えっ、これ国宝なのって思っちゃいました。国宝は美しいものという先入観もあったし。しかも、これらの仏像は本来の名前まで失い、「伝」付きで呼ばれていたりもしているのです。
 古い仏像、千年以上前の木の仏像ですから、傷んでいくということは仕方ないところもあるとは思います。長ーい歴史の中では災害をはじめ、いろんなことがあったろうし。でも、名前が忘れられちゃうなんて。鑑真さんたちが唐招提寺を開くにあたってつくられた仏像かもしれないのに。鑑真さんが亡くなったあとは、鑑真さんの仏さまの姿だとしてずっと拝まれてきたかもしれない仏像なのに。
 長く大切にしてきたものも、場合によっては人は簡単に忘れるんですね。名前まで忘れる。何を忘れたのか、何を失ったのかさえ忘れてしまう。これは気をつけなくてはって思いました。本当に大切な物を失って、そのこと自体に気がつきもしない、そんなことが起こり得るんですね。それって自分を、自分たちを雑に、ぞんざいに扱っているってことじゃないですか。そうならないように、普段から気をつけて歩むことが大切なんだって思いました。

 これって本当に国宝って最初は思った唐招提寺の古い仏像ですが、ゆっくりと拝見していくうちに、次第に美しく、尊く見えてきました。
 厳しい時期を通り抜けて、破損しながらも今に伝わった仏像が惜しげもなく放ち続ける神々しさは、数々の困難を越えて日本に来てくれた鑑真さんの芯の通った生きざまと通じるところがあるように思いました。


<百花さんからの追加のひとこと>
 同じ奈良にある大安寺という古寺にも、奈良時代後期にカヤでつくられた仏像があるそうです。奈良時代の日本には鑑真さんのほかにも大陸からやってきた僧がいて、大安寺に住んだということで、国際センターのような場所でもあったとか。その大安寺に伝わる木彫像は、ゆいまくんによると唐招提寺の木彫仏とはまた少し違っているところもあるとのこと。ぜひ見に行きたいです。