10ー4 鑑真は戒律を伝えただけでなく


百花さん えっ、こっち? ちっちゃ! あ、失礼だったかな。ご本尊がとても大きいから、つい…
腕を上げて怒りを表現しているから… 天部の像ね。2体だから二天像かな。なんかずんぐりとしているけど、これが国宝なの?
ゆいまくん 奈良時代につくられた一木造の二天王像だよ。像高は130センチくらいだね。
百花さん 奈良時代の仏像といえば、ええっと、興福寺の阿修羅像とか、そうだよね。たしか、しゅっとしていて、シャープな印象だったように思うけど。しゅっとね。でもこの二天王像は何だかもっさりしているよ。体、重たそうだし、全体に地味ね。首は太いっていうか、ないみたい。あ、また失礼なことを言ってしまったかも。でも、まあそんな感じ…
ゆいまくん 向かって右に立つのが持国天像、左側が増長天像と呼ばれているんだけど、この呼び方が本来のものかわからないし、元は四天王であったものが2体残ったのかもしれない *。わからないことが多い像なんだ。あと、腕も後補、つまりあとの時代のものに変わっているんだ。
百花さん えーっ、呼び名もわからない、もとから二天王か四天王だったのかもわからない、後補の部分も多い。で、ずんぐり。それで国宝なのか…
ゆいまくん なんかテンション下がっているけど、でも、もう少しよく見てほしいな。じっくり見るとこれがなかなか素晴らしい像なんだ。本当だよ。例えば増長天像の肩とか股間とか。
百花さん 股間? 股の間ってこと? デリカシーに欠けた発言ね。ああ、下腹部を守る縦長の鎧のあれを見ろってこと?
ゆいまくん 神将形の天部像の鎧はいくつもの部分に分かれていて、それを金具で繋ぎ合わせたり、紐で縛ったりして着装している表現がなされているんだ。各パーツには名前が付いていて、下腹部から股間にかけてのこの縦長のものは前盾(まえたて)というんだよ。その模様を見てほしいな。
百花さん 模様ねえ… んー、ここからだと遠くてよくわからないけど、あ、目が慣れてきたら、模様があるのが見えてきた! とっても綺麗! これってお花か、宝石? えっ、どういうこと? 鎧のそれも下半身に付けられた武具がこんなに華やかに。
ゆいまくん 左肩にも模様が彫られているんだ。ちょっと位置的に見えづらいけどね。この模様は背中の方まで続いているよ。あと靴にも細かな模様が彫られているよ。
百花さん ほんとだ! これ、千年以上前の奈良時代の人が彫ったものなんだよね。それがこんなにくっきりとしているなんて、すごいなあ。
ゆいまくん あと、胸の飾り金具の鬼面、これも面白いよね。胴を絞っているベルトの先端をつなぐ紐の結び目。わかるかな。これもなかなかリアルに表現されているよ。
百花さん 面白ーい! ポーズをとって戦闘体制に入っているけど、体はもっさり。でも鎧はとっても華やか。このギャップは何? ギャップ萌え狙い?
それにしても、阿修羅像もこの二天王像も同じ奈良時代の彫刻なのよね。こんなに違うのはどうして?
…あ、もしかしたら、鑑真さんが新しい仏像彫刻の形をもたらしたとか。そういえば、さっきゆいまくんが鑑真さんは技術者も連れて来たみたいなことを言っていたような。
ゆいまくん そもそも、鑑真が僧侶への道を志した理由というのが、父が熱心な仏教徒であったことに加え、仏像に感動したためという話があるんだ
**。若いころから仏像の姿について、彼なりの考え方や感性をもっていたのかもしれない。日本に教えをもたらすにあたって、理想に思える仏像のあり方も一緒に伝えたい、そうした鑑真の思いがあってこうした仏像がつくられたのかもしれないね。
実際、失敗に終わった2度目の渡航の際には鑑真は数多くの技術者を連れていたことがわかっているし、5回めの渡航の時には中国南部の海南島に漂着してしまったんだけど、たどり着いた先で寺院の復興を手助けし、仏像もつくったそうなんだ ***。
百花さん 鑑真さんは奥に引っ込んでお経を読んでばかりいるようなお坊さんじゃなくて、現場でどんどん実践していくタイプの人だったのね。渡航に失敗して南の方に流れ着いても、肩を落としていたりしないで、「この地にも仏法を広めるチャンス来たー」ってアドレナリン出しまくっていたのかも。
鑑真さんというと、昔教科書で見たあの静かに座る肖像彫刻のイメージしかなかったけど、アクティブ系のお坊さんだったのね。
ゆいまくん 6度目、すなわち成功した渡航の際には、弟子など24人が一緒で、のちに唐招提寺金堂を完成させる如宝もその中にいたし、経典類や仏像・仏具なども携えて来ているんだ。仏像制作の技術を持つ人や指導してつくらせることができるお弟子を連れていた可能性は大きいと思うよ ****。
百花さん この二天王像は、阿修羅像をはじめ、それまでの奈良時代の仏像とは似ていない。それもそのはず、鑑真さんが来日することで生まれた新しいタイプの像だからってことなのね。
(注)
* 奈良県大和郡山市の金剛山寺(矢田寺)に伝わる木造二天王立像(頭部欠)は、この唐招提寺講堂二天王像と本来一具ではなかったかとされる。
** 『唐大和上東征伝』によると、鑑真は14歳の時に父に連れられて行った揚州の大雲寺で仏像を見て感動し、出家を願ったとある。また、鑑真による授戒は『梵網経』という経典と関係が深いとされているが、この経典には戒律と仏像の関係について述べられている。
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『唐大和上東征伝』によると、2度目の渡航では弟子17人、玉作人、画師、彫檀(檀像の精緻な彫刻を行う)などの工人を85人連れ、仏像として金漆泥像(塼仏か)、ほかに仏画、経典、さまざまな荘厳具、薬種などを持って渡航を試みた。5回目の渡航についても2度目の時と同様の準備で行ったとの記述がある。渡航に失敗し、流れ着いた先では、壊れ落ちていた仏殿を再興したことや、寺が焼けてしまったので再建してほしいとの願いを受けて堂塔や仏像(丈六釈迦像)をつくり、戒を授け、律を講じ、多くの人を得度させたことなどが書かれる。
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『唐大和上東征伝』には、同行の弟子ら24人のうち、11人の名前が書かれる。また、檀像の千手観音像と薬師仏、阿弥陀仏、弥勒菩薩の瑞像(神聖な力を持つ像)、そのほか仏舎利(釈迦の遺骨)、仏画、経典と典籍類、荘厳具、薬種などを請来したとある。ただし、最終的に工人を伴っていたかどうかは明記されない。なお、鑑真がもたらした戒律は主として『四分律』に基づいているが、その注釈書である『四分律刪繁補闕行事鈔』には僧が直接仏像をつくるのでなく俗人につくらせるべきとあるので、鑑真の弟子の僧が自ら仏像を彫ったということは考えられない。しかしこの注釈書からは、僧は造仏の知識を持つべきものとも読める。鑑真の弟子の中国僧の中に造仏を指導できる者がいたことは大いに考えられる。
せきどよしおの仏像探訪記
ゆいまくんと百花さんの 21世紀国宝仏の旅