<仏教で平和を考える>

7話 生きとし生けるものすべてを慈しむ

 

「《いのち》あるものはみな、おびえているものでも強いものでも、余すことなく、長いものも、大きなものも、中ぐらいのものも、短いものも、微細なものも、あるいは粗大なものも、目に見えるものも、見えないものも、遠くに住むものも、近くに住むものも、すでに生まれたものも、生まれようと望むものもー すべてのものは、安楽であれ!」
*『ブッダのおしえ 真訳・スッタニパータ』(前谷彰訳・解説、講談社、2016年)より引用。p70


 『スッタニパータ』は最古の経典の1つとされる。「スッタ」は「たていと」「経」、「二パータ」は「集成」を意味し、『経集』と訳されることもある。
 しかし、『スッタニパータ」にしても『経集』にしても、あまり馴染みがない、聞いたことがないという方も多いのではないか。
 以前も書いたが(→ 第1話)、インド北部で誕生した仏教は、大きく2つの方向へと広まっていく。それぞれを「北伝」「南伝」という。『スッタニパータ』は南伝の仏教でのみ伝わるもので(一部分は中国にも伝わり漢訳されている)、それゆえ北伝仏教の流れの中にあった日本では近世以前はその存在自体知られていなかった。戦後に中村元(なかむら はじめ)訳の岩波文庫版が出て(『ブッダのおしえ』、1958年)、少しずつ一般にも認知されるようになっていったのである。

 私が『スッタニパータ』を知ったのはいつの頃だったろうか。それが釈迦の肉声に迫る非常に古い経典であるとを知ったのちも、入門書や概説書をかじってばかりで、実際に『スッタニパータ』を読んだのはかなりあとになってのことだった。
 ところが、はじめて『スッタニパータ』読んだ時、意外と「しっくり来ない」ような印象があった。
 『スッタニパータ』は、その名のとおり短い「経」の集合体である。最初に来る「経」は「蛇の経」と呼ばれるものである。ご承知のように、蛇は固い表皮を脱いで成長する。釈迦の生きた時代は、蛇は今よりももっと人間の生活圏の中のいたる所にいて、脱皮する姿も珍しいものでなかったのだろう。釈迦はそのような身近にあるありふれた事象をたとえに用いることを得意としていた。
 修行者は貪りや欲望を捨て去らなければならない。あたかも蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように。「蛇の経」では、このような教えが17の偈(リズムのある文章)で繰り返し語られる。「蛇が朽ちた古い皮を捨て去るように」というフレーズの繰り返しは、響きこそリズミカルで心地よいのだが、裏腹にその言葉の意味するところはずしりと重たい。
 「蛇の経」に続くのは「ダニヤの経」である。
 ダニヤは牛飼いである。同時に「財を有する物」という意味もあり、その名が示すように彼はたくさんの家畜を飼い、さまざまな備えをして家族の生活を確固たるものにしている。ダニヤは、何が起ころうと万全なのだと誇らしげに語る。それに対して釈迦は答える。あなたが所有するものを私は何ひとつ持たない。しかし執着する心を断ったので、憂いが生じることはないのだと。この2人の問答が平行線を描くように続いていく。含蓄ある内容だとは思う。しかしお経というよりは、一幕のセリフ劇のようである。
 そうか。これが、最古の仏典といわれる『スッタニパータ』なのか… 当時の私は何か期待していたものと違ったような気がして、戸惑いながらページをめくったことを記憶する。

 そのようにして読み進んでいくと、やがて「慈しみの経」が現れる。上に引用したのは、その中の一部分である。
 その内容はとても平易である。たとえ話も、問答もない。心が「おびえている、強い」、体が「小さい、大きい」、存在が「見えている、見えない」、存在する場所が「近い、遠く」、そして「すでに生きている、これから生まれる」、そのすべてのものが幸せであるようにという祈り。ただそれだけが、なんのてらいもなく述べられる。これはまさしく究極の平和への願い、そのものである。釈迦の教えの根幹にある、美しい慈しみの心がそこにはある。

 それにしても「小さい」と「微細」、「大きい」と「粗大」はほぼ同じ意味ではないだろうか。どちらかでいいのではないか(「微細」は「小さい」よりさらに小さなもの? 「粗大」は「大きい」よりももっと大きなもの?)。あと、「中ぐらい」って、どれくらいのことだろうか。
 要するに釈迦は、「どんなものでも例外なく」ということを強調したいがために、言葉を尽くそうとしたのだろう。そう考えると、ほほえましく感じる。いとおしく、哀しく、また尊いと思う。

(追記)
『スッタニパータ』は現在、複数の訳が出ている。読み比べてみると、少しずつ違いがあり、面白い。
・中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)は1984年に改訳が出され、その後ワイド版岩波文庫(1991年)、大活字版岩波文庫(2025年)でも出されている。
・渡辺照宏訳は『渡辺照宏著作集』第5巻(筑摩書房、1982年)で読むことができる。
・荒牧典俊・本庄良文・榎本文雄訳『スッタニパータ 釈尊のことば』(2015年)は講談社学術文庫で出ている。
・今枝由郎訳『スッタニパータ ブッダの言葉』(2022年)は 光文社古典新訳文庫で出ている。 

 

引用部分についても、「おびえている」「目に見える」「安楽」は、訳者の違いによって別の言葉があてられる。興味を持っていただけたなら、お読みいただきたい。

 

 

 

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