<仏教で平和を考える>
4話 やれること、できることがあるなら
「行政にもフードバンクのような支援団体にも頼れずに、おてらおやつクラブを頼ってきた人たちを、わたしたちが助けないで、いったいだれが助けるんですか? 仏さまは誰も見捨てません。お寺も本来そういう場所のはずじゃないんですか?」
*『おてらおやつクラブ物語』(井出留美著、旬報社、2024年)より引用。p121
これまでの1~3話とはうってかわり、現代の話をさせていただく。
皆さんは、「おてらおやつクラブ」をご存知だろうか。
はじめたのは、奈良県田原本町にある安養寺の松島靖朗さん住職。2013年、大阪で孤立、貧困の末に母子が亡くなった事件にショックを受け、お寺に寄せられるお供物の一部を支援に回す活動をスタートさせた。お寺に集まるお供え物を「仏さまのおさがり」として「おすそ分け」することは昔から行われてきたことだが、支援団体とつながることで、今まさに必要としている家庭へ届けるという試みであった。
はじめは松島住職1人、安養寺1か寺による活動であったが、やがて近隣の寺などに声をかけ、活動が大きくなるとNPO法人を設立し、つながる支援団体も増えていった。支援する物も、お供物の和菓子などから、子どもたちが喜ぶスナック菓子、さらにお米、乾麺、レトルト食品、飲料、また食べ物以外にも文房具やシャンプー、マスク、生理用品まで、多岐にわたるようになっていった。現在では、すべての都道府県におてらおやつクラブに参加しているお寺があり、協力関係にある支援団体があるというところまで充実するに至っている
*。2018年には「グッドデザイン大賞」を受賞。意匠の素晴らしさではなく、「活動の仕組みの美しさ」によって賞に輝いたのである。
このように順調に(前例のないことを切りひらいていったのだから、実際には順調でないことも多かったと思うが)進んできたおてらおやつクラブだったが、大きな岐路に立たされることになる。
コロナ禍の到来である。
学校や保育園などの臨時休校で子どもたちが家にいる時間が長くなり、昼食代や光熱費などの出費が増え、その一方でパート、アルバイトの仕事が減ったり無くなったりして、これまでギリギリのところで踏みとどまっていた家庭の多くが一気に危機的な状況に陥った。すると、おてらおやつクラブに直接SOSが入るようになったのである。
冒頭の引用は、この状況を受け、おてらおやつクラブの理事さん(NPO法人なので、理事が置かれている)の1人が発した言葉である。
実は、いくら緊急とはいえ、支援団体を通さずに直接支援することに対しては、反対する声が上がって。1度はできても、続けることができるのか。期待させてしまって、結局できなかったとなりはしないか。それは、責任を持って継続した支援を行いたいと願えばこその反対意見であったろう。
しかし、この理事さんはおっしゃった。「じゃあ、いったいだれが助けるんですか?」
この理事さんの言葉は、まさに「仏教で平和を考える」ことそのものだと私は思う。
そもそも平和とは何だろう。戦争のない状態のこと? それだけではあるまい。平和は、自分の周りに広がる世界を信頼できて、安心して生きられる状態のことである。戦争だけでなく、差別、格差や貧困、憎しみや無関心なども平和を壊すものであり、看過してはならない。
平和が今まさにおびやかされようとしている時、そのSOSが届いた時、やれること、できることがあるのであれば、する。まさに、この「おてらおやつクラブ」の理事さんの発言の如くに。
(注)
* 2024年の時点でおてらおやつクラブに参加しているお寺は全国2000以上、毎月のべ3万人ほどの子どもたちが「おすそ分け」を受け取っているそうだ。
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