6-1 今日は桜井市の文殊院に行きます


 

ゆいまくん 百花さん、急いで。電車が出ちゃうよ。この路線は、本数があまり多くないんだ。

百花さん 今日は奈良のお寺に行くって言っていたのに、なんで奈良駅から電車に乗るの?

ゆいまくん 奈良は奈良でも、奈良市じゃなくて、桜井市にある文殊院というお寺に行くんだよ。最寄りは桜井駅で、JRと近鉄が通っているんだけど、奈良からだとJR桜井線、別名「万葉まほろば線」に乗車するのがおすすめなんだ。およそ20キロ、30分くらいの乗車は「小さな旅」のおもむきがあるよ。

百花さん 「小さな旅」ねぇ… ゆいまくん、もしかして仏像だけじゃなく鉄道も好きなんじゃない? 前に伊豆に行った時も、駿豆線でやけにうれしそうにしていた気がするけど…
  あ、何だか恥ずかしそうにしているところを見ると、これは図星だな。
 路線に別名があるのね。それって、かえって間違いのもとにならないのかな~。「万葉」は『万葉集』からとったのかな。「まほろば」は、聞き慣れない言葉ね。

ゆいまくん 古い言葉で、「すばらしい場所」といった意味なんだ。『万葉集』や『古事記』には「やまとは国のまほろば」ではじまる和歌がいくつも載せられているんだよ *。
 この「やまと(大和)」だけど、大和国は今の奈良県のこと、また、古くは日本全体のことをさす言葉でもあったけど、もとはもっと小さな地域のことだったらしい。桜井市には三輪山というたいへん美しい姿の山があり、そのあたりがもともとの「やまと」で、古人はここをもっとも素晴らしいところと詠んだんだよ。
 この「万葉まほろば線」は三輪山の西側を通っていてね、三輪駅という名前の駅もあるんだ。その次が桜井駅なんだ。

百花さん それじゃあ、今日は、古くから最も美しいとされていた場所の近くへ行くのね。ちょっと、楽しみ。えっと、何ていうお寺だっけ?

ゆいまくん 文殊院だよ。安倍文殊院(あべのもんじゅいん)ともいうんだ。本尊の仏像がほんとうにすばらしくてね、2013年に国宝指定されたんだ。願成就院の運慶の仏像と同時だね。

百花さん 駅からはどうやって行くの。

ゆいまくん 徒歩で西南に20~25分くらいだよ。バスもあるけど、便数は多くないし、町の様子を見ながら歩くのもいいものだからね **。

百花さん 歩くのか… 

桜井の製材工場
桜井の製材工場

 

百花さん ん? 特別にすばらしい場所って、どこが? 普通の町だよね。ほかの町と違うものなんて特には…

ゆいまくん 製材工場があるけど、あれなんてどう?

 

百花さん 製材工場? 太い木材が積んであるのね。たしかに、町なかではあんまり見ないかも。でも、それが何か?

ゆいまくん ここからさらに南の方に行くと、吉野っていうところがあるんだ。桜で有名なんだけど、昔は林業の本場としても有名だったんだよ。吉野杉に吉野桧(ひのき)。今はかつてのようには盛んじゃないけど、この場所に製材工場が何軒か残っているのは、伝統の産業を引き継いでいるからなんだ。
 こうしたことから、どんなことがわかる?

百花さん どんなことがって…どういうこと?

ゆいまくん 歴史とは何かっていうことがわかるんだ。

百花さん …?

ゆいまくん 歴史はね、決して過ぎ去ったものなんかじゃないんだ。歴史はまさに今、この風景の中にある。製材工場は、その1つの例だよ。近世や近代に林業が栄えたことが、こうして現代に中に残っている。
 この近くには古墳もあるし、中世の城跡もあるんだ。それらも同じことがいえるんだよ。昔におこったことは、現在の風景の中にとけこみながら、存在し続けているんだ。それがわからないとしたら、見ようとしていないからだよ。
 あそこに見える丘には、飛鳥時代に大陸から芸能が伝わったことをたたえる土舞台の碑 *** があるんだよ。そういうのも、昔のことが現代の中に残り続ける1つの形といえるね。せっかくだから、見ていこうかな。

百花さん ちょっと、やめてよね! お寺まで25分歩くのだって嫌なのに、遠回りして、しかも丘に登るなんて。
 とにかく、ゆいまくんとしては現在の中に歴史を見ながら歩くことが大切だって言いたいわけよね。ハイ、わかりました!

ゆいまくん 百花さん、なんかこの話を早く終わらせようとしている?
 でもね、さまざまな時代の痕跡が最もよく残っている場所、歴史が一番感じられる場所、それこそが寺院なんだって思うんだけど、どうかな。
 これから行く文殊院も、国宝指定された仏像をはじめとして、古代や中世、近世の人たちが生きたあかしがさまざまに重なり合っているって感じられて、特別にすばらしい場所なんだよ。

 


(注)
* 代表的なものとして「やまとは国のまほろば たたなづく青がき 山ごもれる やまとしうるわし」がある。倭建命(やまとたけるのみこと)が故郷を思い歌ったものとして、『古事記』に登場する。

** 桜井駅南口を出て西へ500メートルほど歩いた仁王堂八幡神社の先を左折(南へ)。そこから800メートルほど歩いた安倍郵便局の先に文殊院の入口がある。この南北の道は、現在の奈良市と桜井市を結でいた古代の官道である上ツ道の延長であり、さらに先へ進むと地形に沿って西南に転じ、飛鳥へと至る(阿倍山田の道)。

*** 『日本書紀』に、百済からの渡来人が伎楽を教えたことが書かれ、『大和名所図絵』(江戸時代)でも紹介されている。顕彰する碑は1972年にたてられた。

 

桜井公園の中に立つ土舞台の碑
桜井公園の中に立つ土舞台の碑