4-6 広目天像、多聞天像の魅力

広目天像。百花さん「推し」の像。
広目天像。百花さん「推し」の像。

 

百花さん 次は、「じぞうこうた」の「こう」だから、広目天さんだね。多聞天とともに、ご本尊の後方を担当して守りを固めているんだね。

ゆいまくん 広目天像の印象はどうかな。

百花さん 口を強く結び、いかにも頼もしい武将といった感じだね。兜をつけていて、顔の左右にくるりんってしているのが面白いね。

ゆいまくん それは、吹返(ふきかえし)だよ。横から攻撃の備えとして、兜の左右が折り返されているものだけど、実に華やかにつくられているね。

百花さん 持国天像も兜をかぶっていたけど、顔の横に吹返はついていなかったよね。なるほどね~。同じ天部像で同じく兜をかぶっている。だけど、細部を変えて、異なった印象の像につくりあげていくんだね。「同じだけど、同じにしない」の美学だね。
 お腹から下につけている縦長のもの、これも防具なのね。大きくて、目立っているね。

ゆいまくん これは、前楯(まえだて) * という防具だよ。下半身の鎧は足が動かせるように腰回りを完全にはおおわず、前がどうしてもあいてしまうので、別のパーツによって股間を守っているものなんだ。胸やお腹の飾り金具、腕の付け根の部分、それぞれをつなぐベルトの金具、そしてこの前楯の意匠は、天王像の大きな見どころとなっているんだ。

 

広目天像の前楯。お腹につけた獅子の飾り金具の下に下がる
広目天像の前楯。お腹につけた獅子の飾り金具の下に下がる

 

百花さん 広目天像は、両手とも高く上げてなくて、ちょっと地味にも見えるけど、袖のところはぶんっと翻って、これもカッコいいね。風がおこっているという表現なのね。
 そういえば、仏像で見落とせないのが、光背と台座だったよね。光背は頭の後ろに光の輪があるだけだから、如来像や菩薩像にくらべて簡素だけど、炎が取付けられていて、これも風で横になびいているのね。
 台座は…あれっ、何かに乗ってる? 手足みたいなのが見えているみたい。これは何かの生き物?

ゆいまくん 邪鬼だよ。悟りへの道を妨害するさまざまな悪しきものどもを、象徴的に鬼の姿であらわしたものなんだ。四天王像は、邪鬼を足下に踏まえてあらわされることが多いんだよ。中尊寺金色堂の二天王像も邪鬼を踏んでいたんだけど、覚えてない?

百花さん そう言われれば、そうだったかも…
 広目天像が踏んでいる邪鬼はすっかり踏みしだかれて、もう、ぐうの音もでないって感じになっているよ。今まさに押さえこまれた瞬間なのかな。
 「こちら広目天。担当している西方において、邪鬼を発見っ!」 そしたら、須弥山からすぐさま飛んで行って~、邪鬼の上にぃ~、ドスーン。おおっ、英雄降臨だー。「お助けくだせえ、広目天さまぁ、もう悪さはしねえだ。改心しますからぁ」

ゆいまくん 百花さん、お願いだから変な声で1人芝居をするのはやめてよ。まわりの人が迷惑そうに見ているよ。ほら、次の多聞天像のところへ行くよ。

 

多聞天像
多聞天像
兜の庇が獣(龍?)面になっている
兜の庇が獣(龍?)面になっている

 

百花さん あ、多聞天さんもステキ(♡)
 豪華なベルトでしっかりと体を引き締めていることもあって、細身で長身に見える。
 右手でミニチュアの建物みたいなのを持っているのね。これは…

ゆいまくん 宝塔だよ。これは釈迦の遺骨を護持していることを示していて、それゆえに多聞天は四天王のリーダー格なんだよ。

百花さん 掲げた宝塔をしっかりと見つめるようにしているのは、とても大切なものだからなのね宝塔から一瞬も目を離すまいという強い意志のあらわれなのかな、眼が飛び出すんじゃないかってほどに強調されているよ。それに、うねるような上まぶたのカーブも魅力的! 額にかぶさる兜の庇(ひさし)が龍(?)の顔になってるのも、すごい!
 4体の像を順々に見てくると、ほんとうに1体ずつ違っているのが面白いね。

 

ゆいまくん 静かな姿の如来像、菩薩像よりも、動きのある天の像の方に惹かれるという方も少なからずいらっしゃるけど、この南円堂の四天王像は、怒りの表情、体勢、鎧や兜の意匠、4体の対照の妙まで実にみごとで、ほんとうにすぐれた四天王像だといえるよね。

百花さん この四天王像、仏師の康慶が1人でつくったの? アシスタントのような仏師もいたんだよね。

ゆいまくん 古記録(「南円堂御本尊以下御修理先例」)によると、四天王像の直接の担当は実眼(じつげん)という仏師と書かれているんだ。ただし、この仏師について、他にわかっていることは何もない。康慶は南円堂の仏像11体をおよそ1年3ヶ月かけてつくっていて、おそらくたくさんの小仏師を率いて造像にあたったのだろうけど、助作者についての情報は、実眼の名前以外、残念ながらまったくわからないんだ。

百花さん 康慶自身についてはどうなの? どんな人物だったとか、わかっていることはあるの?

ゆいまくん 康慶についても、まとまった記述は何も残されていないんだ。でも、南都復興造仏に関連する史料の中に散見される康慶の行動をつなぎ合わせていくと、どのような人物であったのか、その輪郭がおぼろげながら見えてくるんだ。そうした史料によれば、なかなかユニークな人物だったみたいだよ。

百花さん 生没年も不明?

ゆいまくん そうだね。ただ、孫の湛慶(たんけい)が1173年生まれと分っているので、逆算すると、湛慶の父(康慶の子)の運慶は12世紀中ごろの生まれと推定できる。ということは、康慶はおそらく12世紀前半の生まれということになるね。造像の記録としては、1152年から1196年まで、40年以上の長きに及んでいて、とても息長く活躍した仏師なんだ。
 同時代を生きた有名人を1人あげるなら、後白河天皇(のち上皇、法皇、1127-1192)かな。康慶は、後白河法皇ゆかりの蓮華王院の造仏も担当しているんだ(現存していない)。

 


(注)
* 唐甲制では、お腹に円形の防具を着け、股の周りにはまた別の防具をとりつけているが、日本の天部像では、この2つを統合した前楯をつける。日本の天部像の鎧は、中国の甲制を模倣しつつも、すっきりと整理した形へと変えてつくられている。