4-4 本来の南円堂の諸像が揃い、四天王は国宝指定へ

いよいよ入堂です。近くで見ると、南円堂は本当に大きい
いよいよ入堂です。近くで見ると、南円堂は本当に大きい

 

百花さん でも、最後には入れ替わりがわかったんだね。

ゆいまくん 1990年発表の1本の論文によって、はじめてそのことが指摘されたんだ *。
 兵庫県の古寺に、興福寺南円堂の本尊と四天王像を描いた中世仏画 ** が伝来していてね 、南円堂の仏さまの信仰の広がりを示す貴重な作品なんだけど、そこに描かれた四天王像は、肉身部の色、持物(じもつ)*** をはじめ、甲冑の意匠、袖の振り上げ方、足下に踏まえた邪鬼(じゃき)の姿勢まで、どれをとっても旧中金堂に安置されていたもう一組の四天王像に非常によく合致していた。このことに着目し、本来の南円堂四天王像は旧中金堂安置の像の方だとする見方が提示されたんだ。

百花さん おおっ! それってすごいよね。よく、「○○の謎!」みたいなタイトルの本とか出てるけど、この仏像の入れ替わりは、「謎」にすらなっていないことに気がついて、解明していったということよね。こういうのを何と言えばいいのかな。…「画期的」かな?

ゆいまくん 実は、それまで旧中金堂安置の四天王像は、興福寺の仏像の中ではそれほど注目される存在ではなかったんだ。一般公開される機会も少なく、来歴も不明とされ、年代や作者の特定も決め手を欠き、鎌倉時代ではあるけど前期まではさかのぼらないだろうといったあいまいな位置づけに終始してきたんだよ。
 ところが、ここが不思議なところでね、こちらが本当の南円堂の像だとわかると、自然にその存在感がぐっと増してくるんだ。本来の安置堂宇がどこか、いつ、誰によってつくられたのか、それがわかっていようといまいと、像に備わる魅力は変わらないものであるはずだよね。でも、その像についてどう見れば、どのように考えればよいのか、方向性が明確になることによって、向き合う際の焦点が定まり、それにともなって像の魅力も明瞭に感じられるようになる。この南円堂の四天王像は、その顕著な例といえるね。

百花さん それな。見方がわかると魅力も増してくるって話、わかる気がする! 親しくなる前となった後では、同じ人なのに顔つきが違って見えて、あれって思うことがあったりするもんね。仏像と人じゃあ話が違うかもしれないけど、そういうことじゃないかな。
 それで、この論文が広く認められて、じゃあ、元通りに四天王像を南円堂に戻そうということになったのね。

ゆいまくん 2018年、現在の中金堂が再建されたんだけど、それを機会に、長く南円堂にあった四天王像は中金堂へ移動していただき、かわって本来の南円堂四天王像が戻って来ることになったんだよ ****。
 あと、これも南円堂に元々あった高僧像6体(法相六祖像)は、長く興福寺国宝館や奈良国立博物館に預けられていたんだけど、これらも戻って来た。

百花さん これで仏像11体、ついに揃い踏みってことになったのね。で、以前から国宝となっていた不空羂索観音像、法相六祖像に合わせるっていうか、そんな感じで四天王像も国宝指定されたというわけね。今度こそ、よくわかった!

ゆいまくん あ、そうこう話しているうちに、いよいよ入堂できそうだよ。

百花さん わあ、真ん中の仏像、大きいねー。ド迫力だ。このお堂、外から見たら大きく見えたけど、中に入ったら、本尊がどーんと真ん中を占めて、狭く感じる。

ゆいまくん この像が南円堂本尊の不空羂索観音像だよ。座った姿で3メートル半近くもあり、手は八本、額に三つめの目をあらわしている。実に充実した姿の像だね。

百花さん 確かに、観音さまなのに、優しいとか穏やかといった感じじゃあないね。全身に力がみなぎっているみたい。手や眼がたくさんあるし。これまでゆいまくんと一緒に拝観に行った法金剛院、三千院、中尊寺には、優美でおだやかな仏像がまつられていたけど、全然違っている。

ゆいまくん 強大な救済力をもつ尊像であることがとてもストレートに、生々しく伝わってくるようだね。張りのある顔つき、くっきりした目鼻立ち。平安時代後期や末期で多くつくられた定朝様の仏像とは、あきらかに一線を画すものになっている。貴族の時代から武士の時代へという転換点にあって、南都の大寺院の復興事業という大舞台が設けられて、その中からこれまでにない生き生きと力強い仏像彫刻が生み出されたということだね。康慶一門によるこの南円堂の像や、その子運慶による造仏はまさに新時代の幕開けを告げるものとなったんだ。

 

不空羂索観音像。台座の高さ約240センチ、光背は5メートル近い
不空羂索観音像。台座の高さ約240センチ、光背は5メートル近い

 

ゆいまくん 本尊の左右に並ぶ法相六祖像は、本尊に比べればずっと小さいけど、これも存在感のある像だよ。衣のひだが深く、自由闊達に刻まれているところ、顔つきや手足の構えがそれぞれ異なる個性を出している点も面白いね。
 それで、こちらが…

百花さん 四天王、キターっ! 大きいし、動きがある。鎧を着けた姿がカッコいー。ここに1体、それで、あそことあそこと… 本当だ。本尊を取り巻くように配置されているんだね。みんな外側を向いて、仏教に害をなすものから仏の世界を日々けなげに守護しているのね。頼もしいっ! この像の名前は…

ゆいまくん こちらが持国天像。本尊をはさんで向こう側が増長天だよ。

百花さん おーっ、「じ、ぞう、こう、た」の順だ! もう、覚えたもんねー。ということは、本尊の後ろ側が広目天像と多聞天像というわけね。どの像も鎧を着て、武器を持っているのね。

ゆいまくん 他のお寺にある四天王像では、広目天像が筆を持つ場合があるけど、この南円堂四天王像は、どの像も剣か長い柄のついた矛(ほこ)という武器を持っているんだ。鎧は像によって形が少しずつ違っていたり、いろいろな模様がついていたりして、これも見どころとなっているんだ。

 

法相六祖像の1体。善珠という僧の像と伝えられている
法相六祖像の1体。善珠という僧の像と伝えられている

 

(注)
*  『国華』1137号、1138号(1990年8月、9月)に掲載された藤岡穣の論文、「興福寺南円堂四天王像と中金堂四天王像について(上・下)」

** 一乗寺蔵「南円堂曼荼羅図(不空羂索観音像)」。絹本着色、縦約151センチ、横約89センチという大きさの仏画で、来歴は不明ながら、描かれた時代は南北朝時代ごろ(14世紀)と推定されている。中央に現南円堂不空羂索観音像が非常に精密に写され、上方には天蓋、四隅には四天王像が描かれている。

*** 仏像が持つさまざまな物を持物(じもつ)という。現南円堂四天王像の持物は、持国天は左手は刀、右手は宝珠、増長天は刀と長柄の矛(ほこ)、広目天は長柄の矛と索(さく、縄のこと)、多聞天は長柄の矛と宝塔で、これは一乗寺の南円堂曼荼羅図に描かれた四天王像と同じであり、また、陀羅尼集経(だらにじっきょう)という経典で示される四天王像の姿とも一致している。陀羅尼集経の記述に基づく四天王像の例は少なく、南円堂四天王像は陀羅尼集経様四天王像として貴重な例である。

**** それ以前に南円堂に安置されていたもう1組の鎌倉時代の四天王像は、現在中金堂に安置されている。本来の安置堂宇については、興福寺東金堂ではないかとする説もとなえられたが、現在は興福寺北円堂とする説が有力になっている。