コラム18

脱活乾漆造の仏像とニレ

初冬のハルニレ(新宿御苑にて)
初冬のハルニレ(新宿御苑にて)


1 脱活乾漆造について

 興福寺阿修羅像、東大寺法華堂不空羂索観音像、唐招提寺鑑真像の共通点といえば? もちろん奈良にあること、つくられたのが奈良時代(8世紀)であること、そしてもう1つ、脱活(だっかつ)乾漆という技法でつくられていることである。
 日本の仏像は、特に文化財指定されている像は木造が圧倒的に多く、乾漆でつくられている像は少数である。さらに、工程がやや複雑であるために、説明されてもイメージが湧きにくく、仏像の姿の素晴らしさに感動しながらも技法の話となるととっつきにくさが拭いきれないという方も多いのではないだろうか。

 なお、乾漆造といっても2種類あり、1つが脱活乾漆(脱乾漆とも)、もう1つが木心乾漆である。脱活乾漆の方が先で、奈良時代以前に中国から伝来した技法であり、木心乾漆は脱活乾漆のいわば改良型として奈良時代後半に登場する。
 ここで話題にするのは脱活乾漆造である。

 ところで乾漆という用語だが、実は古くから用いられてきた言葉ではない。中国では夾紵(きょうちょ)、古代の日本では「塞ぐ」の意味で塞(そく)あるいは土へんをつけた塞、または即、則と呼ばれており、乾漆と名付けられたのは意外にも近代になってからである。岡倉天心の命名らしい。本来の言葉である夾紵または塞を使うべきという議論も一部にあったが、乾漆という言葉が一般化して今日に至っている。

 では、奈良時代につくられた乾漆造の像がおおむねどのような工程によっているのか、以下見ていくことにしたい。技法の話はとっつきにくいと思っていらっしゃる方も、お付き合い願えれば幸いである。
①土で原型を作る。
 乾漆の像は土の像を作るところから始まるというのはとても重要な点である。例えば、丸い形を作るとして、「粘土をこねて作りましょう」と、木のかたまりと彫刻刀を与えられて「削って作ってください」と言われるのでは、どちらが容易かは言うまでもないだろう。原型が土であるということは形を取りやすいということ、それはすなわち真に迫った表現を追求しやすいというメリットをもつと言える。
②土で作った原型に布を貼っていく。
 貼る際に漆を用いる。布といっても、今の我々が着ている服の布地のような厚手のものを想像しないでほしい。薄い麻布を原型の凹凸に沿って貼っては乾かしを繰り返し、数層から10層くらいになるまで行う。阿修羅像の場合4~5層くらいで、その厚さは3ミリほどである。こうして土の原型の形に沿ってカチカチになった布が覆っているという状態の像が出来上がる。
 ここでもメリットをあげるならば、漆で固められているので、表面の強度は十分にあるということ、そしてもともとが布であるので、仏像がまとう布の様子など実に写実的にまた軽やかに表現できるということがある。
③背中などの布を切り、原型の土を出す。その後補強のために内側にさらに布張りをする。元通り縫い合わせると布の像が出来上がる。
 布であるから、木像、銅像、あるいは塑像(土でつくられた像)に比べて軽い。従って、災害時に持ち出しやすいというメリットがある。
④布像の内部に補強のための木材(心木)を入れる。
 例えば阿修羅像の場合、足の裏から木材を挿入したようである。乾漆像は要するにハリボテであるので、その弱点を補っているわけである。
⑤ペースト状の材料を使って表面の細部を整える。
⑥最後に表面に下地をつけ、彩色などを行って完成となる。

 改めてこのように整理すると、難解というほどではないと思うがいかがであろうか。とは言っても、木像や塑像に比べれば若干複雑で手間がかかる技法であることは否めない。また、費用の面に目を向ければ、②の工程、さらに⑤の工程で高価な漆を多用するため、木像、塑像と比べてかなり大きな出費が必要になる技法と思われる(思われてきた)。


2 漆木屎への疑義

 さて、ここからは上記の⑤、すなわち乾漆の像をつくるにあたって細部を整え完成へと向かう際に用いられるペースト状の材料について、もう少し詳しく見ていくことにしたい。
 というのも、このことに関して近年非常に重要な新知見が得られたからである。

 このペースト状の材料は木屎(こくそ)と呼ばれる。初めて聞くとなんとなく品のない名前のようだが、細かい木の粉(木材を切った時に出るような粉)などを漆に混ぜて作った練り物のことである。
 木屎は一般的には生漆(きうるし、漆の木から採取した樹液から樹皮の粉など不純物を取り除いたもの)に小麦粉を混ぜ合わせ(これを麦漆という)、さらにヒノキの粉を混ぜて作る。漆木屎とも言う。麦の粉やヒノキの木粉を混ぜることでペースト状になり、コテのようなもので塗ったり整えたりができるようになるのである。
 しかし、奈良時代の乾漆像の場合、混ぜる木粉はヒノキではないのではないかとする疑問が以前からあった。別の樹木の粉、あるいは抹香(粉末状にした香)を用いたのではないかというのである。
 実は漆木屎は粘りが強すぎ、実際に使ってみると細部のモデリングに適しているとはどうも言い難い。また、漆木屎は乾くと黒くなるが、奈良時代の乾漆像で木屎が見えている場所を観察すると、黒くはない。もっと薄い色で、着色していないお線香(よく見る緑色のものでなく、薄い茶色のもの)の色に近い褐色だという。
 これらのことから、当時使われていた褐色で、適度な粘りのある漆木屎はどのようにして作られていたのか、その配合はどのようなものであったのか、研究者や技術者による究明が行われてきたのだが、これが正解と言えるような答えにたどり着くことはなかなかできなかった。
 仏像彫刻を説明する本には、当たり前のように乾漆造についての説明がなされている。ご覧になった方も多いのではないか。ところが、実はこの技法には未だ解明されていない部分が残されていたのである。



3 解明された木屎の謎

 奈良の唐招提寺金堂で1999年から足かけ10年間にもおよぶ大修理が実施された。その際、金堂本尊の盧舎那仏像(脱活乾漆造)の木屎の調査が行われた。と言っても国宝仏像であるから、サンプルを取って調査するようなことができるわけもない。実はそれ以前に仏像から脱落していた米粒ほどの大きさの木屎の小片が保管されていて、それがこの機会に分析にかけられたのである。
 調査にあたったのは、漆工芸を中心に文化財科学を研究する岡田文男さんである(当時京都造形芸術大学教授)。分析を進めると、木屎を構成する木粉の中に平行四辺形または菱形をした透明な結晶が含まれているのが見えた。岡田さんは、似た結晶がニレ属またはクワ属の植物樹皮(樹皮といっても、木の一番外側のゴツゴツしたところではなく、その1つ内側の部分)に現れることに思い至り、奈良時代の乾漆像にはニレが用いられたのではないかとの仮説を立て、再現実験を行った。すると、粉末にしたニレの樹皮を水で練ると粘りが出てきて、そこに漆を少量加えるとまさに奈良時代の乾漆像に使われていた木屎と変わらない練り物ができたのである(場合により、さらにヒノキの粉も加える)。
 つまり、これまでは漆に何を混ぜていたのかが問題とされていたのだが、前提そのものが違っていたのだ。漆ではなく、ニレの樹皮が主成分であったのである。現在では「ニレ木屎」と呼ばれ、美大などで乾漆像の再現の授業でも用いられ、それほど熟達していない学生であってもすぐ慣れて使いこなせるようになったという報告もなされている。
 注意していただきたいのは、以上の話はあくまで奈良時代の彫刻における乾漆の技法においての話である。現代のアーティストで乾漆の技法を用いる方もいるし、東南アジアなどでも乾漆によって像を作ってきた歴史がある(東京国立博物館にはミャンマーの乾漆仏が所蔵されており、東洋館地下展示室で展示されることがある)。乾漆という技法はなかなかに広がりをもったものなのである。
 とにかく、冒頭にあげた興福寺阿修羅像をはじめとする奈良時代の脱活乾漆造の像について、細部の整形に漆木屎が使用されたという「常識」は過去のものになりつつある。今後は、「漆を大量に使う乾漆造は非常に費用がかかった」という説明についても変更されることになるかもしれない。

 なお、ニレの樹皮は奈良時代には紙漉きの「ネリ」としても用いられていたようだ。ネリは紙を漉くために材料となる木の繊維を水に入れる際に加えられるドロリとした液体で、これを加えることで繊維が水中で均等に混ざった状態となり、均質な紙を漉くことができる。現代においてはホテイアオイがよく使われるが、それが古代においてはニレであった。奈良時代の人々は、ニレの樹皮に粘りのある成分があることを知っていたのである。

 


(参考)
『阿修羅像のひみつ(増補新版)』、興福寺監修、朝日選書、2025年
「正倉院乾漆伎楽面の構造・技法についての研究 試作・実験による考察」(『正倉院紀要』36号)、山﨑隆之・岡田文男、2014年3月
『唐招提寺金堂国宝乾漆盧舎那仏坐像 国宝木心乾漆千手観音立像 国宝木心乾漆薬師如来立像修理報告書 本文編・図面編』、文化庁文化財保護部美術学芸課ほか編、唐招提寺、2010年
『唐招提寺金堂国宝乾漆盧舎那仏坐像 国宝木心乾漆千手観音立像 国宝木心乾漆薬師如来立像修理報告書 図版編』、文化庁文化財保護部美術学芸課ほか編、唐招提寺、2010年

 

 

 
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