2-8 拝観を終えてー百花の感想


 山里のなかに高い石垣、入るといかにも格調高いって感じの建物、庭に下りると今度は緑の中かわいらしいお堂と、意外性の連続でした。どんな名プロデューサーがスゴ腕をふるったのかと思ったら、そうではなくて、いかめしい外観は大原の寺院を監督のために延暦寺が開いた名残り、瀟洒な雰囲気のお堂は聖たちの修行の場、そして格式ある門跡寺院があとからここへやってきて…と、歴史の中で幾重にも積み重なってきたものなんですね。
 そして、ここには対極の世界が同時に存在しているみたいです。門跡寺院の中に、隠棲したお坊さんがよりどころとしたであろう往生極楽院があるのもそうだし、小さなお堂に大きな仏像。この世に現れた極楽世界…。一人ひとりが唱える念仏がすべての人の救済となるという信念。お寺に来て仏像にお会いしていると、いろいろな歴史や考え方が見えてきて、楽しかったです。

 木立の中に建つ往生極楽院は、夢の中の世界のように美しく、これってジブリの世界みたい。堂内に入れていただくと、すぐ近くで仏さまにお会いできて、もう感動しかなかったです! 堂内に照明はなく、外からの光とロウソクの明かりでの拝観ですが、とても心地よくて、ずっとここに居たいって思うほどでした。
 お堂は南に面し、左右から障子ごしの光も入ります。冬の日暮れ時など、薄暗さが迫るお堂もきっとすばらしい雰囲気でしょうね。夏の朝一番なんかも気持ちいいかも。各季節、さまざまな時間帯、それぞれに異なった表情を見せてくださるんじゃないかな。ぜひまた来たいです。

 それにしても、銘文があるのは勢至菩薩像だけというのは不思議ですね。三尊像なんだから、全部の像にあればいいのに。昔の人って親切なんだかいじわるなんだか… 銘文があるおかげでいろいろなことがわかるからありがたいけど、どうせなら後世の人が悩まなくて済むように、三尊すべてに書いておいてくれて、ついでに、仏師は誰なのか、このお堂のためにつくられたものか、主としてどんな儀式をするための像としてつくられたのかなど、もれなく書いておいてほしかったな。そうしたら悩まなくてすむのに。


 この仏像がもともとこのお堂の像としてつくられたものなのか、判断が難しいところもあるということだけど、大きな阿弥陀三尊像はこの小さなお堂にむしろふさわしいんじゃないかって、ゆいまくんの話を聞いていて思いました。このお堂はちっぽけな現世という器をあらわし、阿弥陀仏と極楽浄土がいかに偉大な存在かということが一瞬にしてわかるような形としてつくられているようにも思えたのですが、どうでしょうか。

 このお堂にたくさんの念仏者が集って、すべての人の極楽往生を願って声を揃えて念仏を唱えていたのかもって話にも感激しました。情景を想像したら、身が引き締まるような気がしました。


<百花さんから追加のひとこと>
三千院の東に来迎院というお寺があって、拝観できます。極楽院と関係が深い古寺です。歩いてたった5分くらいなんだけど、三千院と違って観光客の方が少なくて、落ち着いた雰囲気です。本堂には平安時代の仏像がまつられていて、お堂の裏手には良忍さんのお墓があるんですよ。