2-5 脇侍の菩薩像は独特の姿勢、そして銘文が…


百花さん 阿弥陀さまに従う脇の2像は菩薩像ということだけど、如来と菩薩はどう違うの?

ゆいまくん 最高の悟りを得た存在が如来であるのに対して、菩薩はまだそこに到達していない。悟りを求めて修行し、また、衆生の救済を行う存在だよ。姿は、出家前の釈迦がモデルで、髪を結い上げたり、冠やアクセサリー類も身に着けたりしている *。上半身は、如来が大きな衣をまとっているのに対して、細くて長い布をたすきにかけたり、肩にかけて左右に下げたりしているんだ。

百花さん シンプルな姿の如来に比べて、華やかな印象があるね。

ゆいまくん この三尊像の脇侍は、向かって右側が観音菩薩、左が勢至菩薩だ **。
 ところで、菩薩は悟りを求めて歩む者とはいえ、観音、勢至などの数々の菩薩はすでに強力な救済力を備え、悟りの一歩手前にあってあえて悟りの世界に入らず、衆生に寄り添い、救ってくださる存在とされているんだよ。だから、こうした三尊像の脇侍として如来に従っているばかりでなく、単独で造像されてまつられ、大いに信仰を集めているという場合だって多いんだ。

百花さん 菩薩って面白い! 如来にまだなっていないから如来よりは下。でも、ほとんど如来並みの実力があって、しかも私たちにとってより身近な存在で、姿は美しく飾られている。それじゃあ、人気出るよね。ソロ活動もOKなんだ。

ゆいまくん ソロ!? 独尊と言ってほしいな。
 こちらの像のように三尊の脇侍である場合は、菩薩は如来の救済を助ける役割を担っているんだ。阿弥陀三尊では、観音菩薩は阿弥陀仏の慈悲を、勢至菩薩は阿弥陀仏の智慧をあらわし、また分けもっているとされているよ。

百花さん この観音菩薩像、勢至菩薩像は、中尊の阿弥陀如来像とは違って正座みたいに座っているね。これが菩薩像の座り方?

ゆいまくん とてもよいところに気がついたね。
 両脇侍とも、坐禅のような座法をしていないね。正座にも似ているけど、ちょっと違うよ。よく見てご覧。膝の間を少し開き、お尻を軽く足に乗せ、体を前方に傾けているね。これは跪座(きざ)または大和座りといい、阿弥陀如来の来迎に従ってともに臨終者を迎えようとするさまをあらわす特別な座り方なんだ。前傾の姿勢をつくるために、木の寄せ方にも工夫が加えられているんだよ。

百花さん 阿弥陀さまが来迎印を結んでいて、両脇侍も来迎の姿だから、まさにこれは来迎の三尊像ということになるんだね。えっと、向かって左が勢至菩薩だっけ。こちらは合掌しているけど、観音菩薩は何かを手に持っているね。

観音菩薩像
観音菩薩像


ゆいまくん 両菩薩はまるで双子のように似ているけど、手の構えだけが違っているんだ。観音菩薩は両手を前に差し出して、手にのせているのは蓮台だよ。この上に臨終者の魂を迎え、極楽へと導んだ。一方、勢至菩薩は合掌し、この世界から極楽へと旅立とうとする魂を丁重に迎えつつ、教主である阿弥陀仏を讃えているよ *** 。

百花さん …静かだけど、ドラマチックな場面なんだね。今まさに亡くなっていく方のところへこうして阿弥陀さまと菩薩が迎えに来る。この時代の人は臨終の際にこの姿を見ることが究極の願いだったんだね。菩薩像はとても優しい表情をしていて、顔をややうつむき加減にして、さあ、その時が来たよ、行きますよって言っているみたい。

ゆいまくん こうした姿をとる観音菩薩像、勢至菩薩像は他にも例があるけど、もう少し後の時代の作では体をさらに強く傾けていたり、来迎のスピード感を出そうと表現に工夫を加えていたりするものがあるよ。しかし、こちらの像は極端な表現を避け、上品で端整な作となっているんだ。

百花さん この像がつくられたのは、法金剛院の阿弥陀如来像とだいたい同じ時期だけど、ちょっとこちらの方があとなんですよね。どうして、それがわかっているの。法金剛院の仏像みたいに古い記録が残っているの?

ゆいまくん いや、この像のつくられた事情などが書かれた古い記録というのはないんだ。

百花さん そっか。残念… でも、考えてみれば当たり前か。法金剛院の像の場合は待賢門院というその時代の中心的人物による造像だから、貴族やお寺関係の史料がいろいろ使えたんだね。でも、こちらはその華やかな世界を捨てたお坊さんたちの里の仏像だもんね。

ゆいまくん そう、この像に関する古い記録というのは乏しいんだけどね、実は像内に直接墨で書かれた文字が残されているんだよ! 三尊像のうちの勢至菩薩の像内にね。

百花さん 来たーっ。それって銘文(めいぶん)ってことだよね! 勢至菩薩像だから、向かって左側の合掌している像の方ね。

勢至菩薩像
勢至菩薩像


ゆいまくん 書かれているのは背中側の面で、造像年、像の願主(つくらせた人物)、願意(何を願ってつくらせたか)が計八行にわたってつづられていて、これは仏像の銘としては比較的長文のものなんだ。銘文から、1148年に、実照(じっしょう)という僧が、亡き親、自分、そして衆生の極楽往生を願ってこの勢至菩薩像をつくったということがわかるんだ。

百花さん 像の内部には空洞があるのね。法金剛院の阿弥陀如来像と同じく寄木造でつくられているからだね! 背中の側か。透視~…って、無理か。

ゆいまくん こうした像内銘をもつ仏像は、鎌倉時代以後は多くなっていくけど、平安時代の仏像でつくられた当時に書かれた銘文をもつものは決して多くはないんだ。銘文があることで像に関する理解は格段に深まるわけだから、ほんとうに貴重だといえるね。


(注)
* 三千院阿弥陀三尊像の脇侍は冠やアクセサリー類は着けていない。実はかつては着けており、今よりずっとにぎやかな印象であったが、後補のものにかわっていたために現在は取り去られている。

** 正式には中尊から見て、左脇侍、右脇侍と称する。左脇侍が観音菩薩像、右脇侍が勢至菩薩像である。

*** 両像とも手先は後補。しかし腕の角度から考えて、もとからこの姿と考えられる。