1-8 拝観を終えて 百花の感想

 法金剛院は極楽浄土の再現っていうくらい立派なお寺だったそうですが、開いたのは待賢門院という女性と聞きました。歴史の授業では男ばっかり出てきて女性はあんまり登場しなかったけど、実はこんなにすごい女性もいたんだって、ちょっとびっくりです。しかもお寺をつくった時にはまだ30歳くらいだったって聞いて、すごいなーって思いました。もっとも、当時は平均寿命は短かったでしょうから、30歳っていうのはもう後半生になるのかな。

 

 かつて待賢門院とその娘の上西門院を願主としてつくられた阿弥陀如来像は、3つの阿弥陀堂に計11体もあったとか。この時代は阿弥陀仏への信仰がとっても高まりをみせていたんですね。けれど、その中で今日まで伝わる仏像はわずかに1体。それが今の法金剛院の本尊で、かつて西御堂の本尊として仏師院覚によってつくられた像と推定されていることがわかりました。

 

 鳥羽院の寵愛を失った待賢門院はこのお寺で出家したということですから、この阿弥陀如来像は待賢門院の華やかな前半生、悲しみの後半生に寄り添ってきた存在なんだなと思うと、何百年も昔のことなのに、なんだかしみじみと感じられて、この仏さまのことがぐっと身近に感じられてきました。この阿弥陀さまは待賢門院の時代から今に至るまで、ずっと人々をやさしく温かく見守ってきてくれたんだなって。こういうことを「ありがたい」というんでしょうかね。

 

 仏師院覚は自分を引き立て、仏像制作の場を与えてくれた藤原忠実と待賢門院の2人が、ともにある時期活躍し、その後権勢を失い、その度に翻弄されて、なんだか気の毒ですね。でも、自分がつくった仏像が21世紀に改めて高く評価され、国宝指定されたって知ったなら、喜んでいるでしょうね。

 

 阿弥陀如来像は格調高く、堂々として存在感があり、同時に優しく穏やかな雰囲気がありますね。正直なところ、はじめは不思議なお顔だなーって思っちゃったんだけど、これが平安時代の高貴な人たちにとっての理想美なんですね。そう思って見ると、きれいだなーって思えてきました。ゆいまくんに教えてもらった台座、光背(当初部分)の模様もとっても繊細で、全体の印象も大切ですが、細部にも注意して見るとさまざまな発見があるとわかりました。

 

 

<百花さんから追加のひとこと>
 仏殿(収蔵庫)内には、阿弥陀如来像以外にも仏さまがいらっしゃいます。中でも、厨子に入った十一面観音像はとっても美しい像ですよ。お見逃しなく! あとね、阿弥陀如来像よりも古い一木造の仏像も置かれていて、もしかしたら法金剛院の前にあった天安寺の像が残ったものかもしれないんだって。

 

仏殿(収蔵庫)入口
仏殿(収蔵庫)入口