瀬戸観音寺の千手観音像

  東高尾観音寺から移された仏像

住所

北栄町瀬戸963-2

 

 

訪問日

2009年8月3日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

大成山観音寺・文化財十一面千手観音

 

 

 

拝観までの道

瀬戸観音寺(大成山観音寺)は、山陰本線由良駅の東南東、瀬戸というところにある比較的小さなお寺である。由良川の西岸の台地上にある。

倉吉駅から由良駅入口を通って赤碕駅まで行く日ノ丸バス(赤碕線)で「瀬戸」下車、徒歩10分くらい。

 

日ノ丸バス

 

由良駅からは歩けないこともない(40分くらい)。また、由良駅前にはタクシー会社(由良タクシー)がある。

本尊の千手観音像は本堂中央に安置されている。普段は開かず、4月第1日曜日に開扉するそうだが、厨子に入っているわけでなく、前もってお願いしておくと拝観させていただける。

 

 

拝観料

拝観料の設定は特になかった。

 

 

お寺や仏像のいわれ

このお寺の前身は、江戸時代中期に瀬戸の人々が東高尾観音寺から千手観音像を勧請して創建した松月庵というお堂とされる。 

現本尊が江戸期に東高尾観音寺から移されてきたと伝える像である。

観音寺と称するようになったのは、戦後のことという。

 

 

拝観の環境

堂内は明るく、近くから、また向って左横からも拝観できる。

 

 

仏像の印象

本尊千手観音像はいかにも古様な木彫像で、なるほど東高尾観音寺から移されたという伝えは首肯できる。

ただ、東高尾観音寺の諸像と最も違う点は、修復されているということである。千手観音像としてよく整った姿をしているが、頭上面、脇手、足先、天衣の垂下部など後補部分が多い。残念ともいえるが、各時代の信仰心の現れであるとも思う。

以前は、平安仏であるにもかかわらず玉眼が入っていたそうだ。後世の修理の際にそうしてしまったらしい。 かつて玉眼を入れることが仏像のスタンダードのように考えられていた時代があったのであろう。

1990年の修復の際に玉眼は取り除かれ、裏から木材をあてて彫眼のように見えるように直された。なるべく当初に戻し、後補部分は取るというのが現代の修復の基本となっているからであるが、考え方の変遷にともなって目を入れたり出したりと、観音さまもたいへんである。幸いにも、一見したところ違和感はあまりない。

 

顔が小さく、いったい何等身になるのかと思うほど、プロポーションがよい。胸はしっかりとつくられているが、下半身はかなり細い。ほぼ直立するが、わずかに左膝を前に出す。腰はほとんどひねらないものの、裙の折り返しの襞(ひだ)は若干左右対称を破る。下肢は翻波式衣文で、その間には渦巻きの文も見える。横からも細身で、わずかに体を弓なりにする。

像高は約160センチ弱だが、ずっと大きく感じる。霊仏という言葉が思い浮かんだ。

 

 

さらに知りたい時は…

『鳥取県の仏像調査報告書』、鳥取県立博物館、2004年

 

 

仏像探訪記/鳥取県