西楽寺の2組の三尊像

  阿弥陀三尊像は玉眼使用の古例

住所

袋井市春岡384

 

 

訪問日

2007年11月3日

 

 

 

拝観までの道

西楽寺へは東海道線の袋井駅から秋葉バス秋葉中遠線で約20分、「月見町」バス停で下車し、北東方向へ徒歩10分くらいである。バスの本数は日中1時間に1〜2本程度。

 

秋葉バス

 

拝観には事前連絡が必要。ご住職が丁寧に本堂と本坊の仏像や寺の歴史についてご案内くださった。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺のいわれ

西楽寺はこの地域でも指折りの古刹というが、はっきりと歴史がたどれるのは戦国時代の今川氏支配の時期からである。多くの文書が寺に残されていて、秀吉や江戸幕府との関係が深かったことが分かっている。江戸時代には170石の領地をもっていたといい、これは寺院としてはかなりの格であることを意味する。

かつては寺域も広大で、寺の少し手前に「下馬」という石碑が建っているが、そのあたりに総門があり、そこから200メートル北に見える本堂までの道の左右に多くの子院が立ち並んでいたという。現在ではそれらはことごとく廃絶して畑となり、本坊、本堂、薬師堂のみが残った。

 

本堂は江戸中期の建物だが、近代になって大きく改変された。近年、本堂背面に保管されていた建築材が近代の改修以前の本堂装飾部材であることがわかり、それを用いて復元・修築され、遠くからは雄大な姿が、近くからは組み物など優美な様子が見てとれる。内部の装飾や壁画もすばらしい。本尊は阿弥陀三尊像である。

一方、薬師堂は老朽化が進み、仏像(薬師三尊像)は本坊内に移されている。

 

 

拝観の環境

本堂の阿弥陀三尊像は、厨子中に安置されているので、正面からのみではあるが、すぐ前まで寄って拝観することができる。

本坊に移されている旧薬師堂の薬師三尊像も厨子の中にあり、こちらは前に布が垂らされ、机等も置かれているため、本堂の三尊像に比べればやや拝観しにくい。

 

 

仏像の印象

本堂の本尊、阿弥陀三尊像は、ヒノキの割矧(わりは)ぎ造。中尊は定朝の様式を汲んだ穏やかな坐像だが、玉眼が入っている。玉眼が入った仏像としては古い例であり、注目に値する。

脇侍菩薩は正座の姿であり、来迎の様子を表したものとわかる。

三尊の像内には、阿弥陀仏に従う二十五菩薩の名前などが書かれているという。臨終の際には阿弥陀、二十五菩薩揃って来迎してほしい、そしてその姿を像に表したいが、そこまでの群像は造りきれないので、諸菩薩はせめて名前だけでもと、阿弥陀三尊の像内に記したのだろうか。こうした例はほかにはなく、非常に面白い。

また、中尊の脚部内面には1290年の修理銘が残されている。それによると、当時は三尊に不動・毘沙門がついた五尊像であったらしい。この組み合わせの例としては、運慶作の伊豆の願成就院や横須賀・芦名の浄楽寺の諸尊が思い起こされる。

 

旧薬師堂の薬師三尊像の中尊はやはり定朝の様式を汲む像で、ほぼ等身の坐像、ヒノキの割矧ぎ造。

脇侍は一木の立像で、中尊より早い時期の素朴で魅力ある像。

 

 

さらに知りたい時は…

『みほとけのキセキ』(展覧会図録)、みほとけ展実行委員会、2021年

「西楽寺阿弥陀三尊像について」(『史迹と美術』779)、大宮康男、2007年

『西楽寺』、西楽寺発行、1993年

『袋井市史 資料編』、袋井市史編纂委員会、1985年

 

 

仏像探訪記/静岡県

薬師三尊の中尊像
薬師三尊の中尊像