龍峰寺の千手観音像

  年2回開扉の秘仏

住所

海老名市国分北2丁目13-40

 

 

訪問日

2009年1月1日、 2019年1月1日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

海老名市にぎわい情報ホームページ えびなめぐり

 

 

 

拝観までの道

小田急線、相鉄線の海老名駅から北東に徒歩20分くらい。駅東口から相鉄線沿いに進んで、踏切を渡ると前方右側に丘が見える。清水寺公園である。この公園の中を行くと、つきあたりが龍峰寺である。

観音堂は江戸時代の建物で、千手観音像はその裏手の収蔵庫に安置されている。

収蔵庫は1月1日と3月17日に開扉され、拝観できる。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

この観音堂の前身は清水寺といったといい、さらに近くにあった国分尼寺にも関係する等伝えられるが不詳。

千手観音像は、左右の手のうち1本ずつを頭上にかかげ化仏をいただく、いわゆる清水寺式(清水寺形)である。清水寺の秘仏本尊がこの形の千手観音像であるということから、このようによばれる。絵画にはこの姿のものがままあるが、彫刻では珍しい。

本像は清水寺式千手観音像の彫刻として貴重な遺例であるが、ただし手は後補、つまり後の時代の修理時にこのような形に変えたものなのかもしれない。しかし後述のようにこの像は古い様式を受け継いでおり、もともと先行するこの姿の像があって、その形を忠実に引き継いでいるという可能性もある。

 

 

拝観の環境

拝観は収蔵庫の入口からだが、像までそれほど距離はなく、また南面しているので光も入ってよく拝観できる。

ただし、筆者が訪れたときには初詣の方が列をつくり、一列になって収蔵庫入口に向うため、長時間じっくり拝観するというのは難しかった。

 

 

仏像の印象

像高は2メートル弱の堂々とした立像である。カヤの一木造。

頭部はやや小さくつくり、張りのある丸顔である。理知的というか、しっかりと前を見据えるまなざしが魅力的。上半身はがっしりとつくり、腰はくびれ、直立して立つ。腕はヒノキで、細くやや弱い印象である。ほぼ後補にかわっているという。

 

この像の特異なところは、眼と下半身の衣文である。眼が玉眼なのである。一木造なのに、顔面を割矧いで玉眼を入れる(あるいは面部のみ別につくっているのかもしれないが)という技法は、運慶作と目されている六波羅蜜寺の地蔵菩薩坐像や鎌倉・寿福寺の地蔵菩薩立像(鎌倉国宝館寄託)、また醍醐寺金堂薬師三尊像の脇侍像等の例はあるものの、珍しい。

一方、下半身の衣の線は重厚である。裙の折り返しも多くの観音像に見られるような浅い線のような襞(ひだ)でなく、しっかりと刻まれる。膝下も楕円形の波を繰り返し、両足の間は重なり合う衣がくねくねと変化をつけて下がり、なかには渦巻きの文が崩れたような模様まで見える。奈良時代から平安前期の彫刻の息吹が聞こえてくるようなつくりである。

 

一木造で玉眼、がっしりした上半身としっかりくびれた腰、古さを感じさせる衣という組み合わせは極めておもしろい(それでいて、バランスがよい)。これをどう考えるべきか。

この寺から西へ数百メートル下ったところに国分尼寺跡がある。海老名は古代相模の中心で、国分寺、尼寺が置かれていた地なのである。この仏像の古い要素は、こうした古代寺院の仏像の写しの広まりから来ていると考えたらどうだろうか。それと玉眼という新しい表現が組み合わさったのがこの像であるのではないか。引き締まった面相と玉眼から、鎌倉時代の前期の作と推定ができそうである。

しかし、別の考え方もある。体部はその特徴から平安時代とし、面相のみ鎌倉時代に補作されたという説である。この像は本格的な調査や修理が近年行われておらず、結論は今のところ得られていない。

 

 

その他

2008年夏、奈良国立博物館で開催された「西国三十三所展」にこの像は出品された。この像が寺を出るのは、関東大震災の被害にあってその修理の時以来のことという。その後、2020年に神奈川県立歴史博物館で開催された特別展「相模川流域のみほとけ」にも出陳された・

 

 

さらに知りたい時は…

『特別展 相模原流域のみほとけ』、神奈川県立歴史博物館、2020年

『特別展 西国三十三所』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2008年

『海老名市史2 資料編・中世』、海老名市、1998年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年

 

 

仏像探訪記/神奈川県