青蓮寺の弘法大師像

  1年に数日開帳する

住所

鎌倉市手広5-1-8

 

 

訪問日

2010年12月31日   2011年12月31日

 

 

 

拝観までの道

青蓮寺(しょうれんじ)は湘南モノレール西鎌倉駅下車、北へ約15分。

本尊は弘法大師像で秘仏。1月21日、4月第3土曜日、8月16日、12月21日、12月31日夜〜1月1日未明にご開帳される。おのおの開帳時間や法事の時間帯(その間は近くに寄れない)が異なるので、問い合わせてからうかがうとよい。

筆者が訪れた12月31日は午後9時からのご開帳で、その時間にうかがったところ、まだ年越しの方が大勢来る前で、ゆっくり拝観することができた。

 

鎖大師 青蓮寺ホームページ

 

 

拝観料

特に拝観料の定めはなかった。

 

 

お寺やお像のいわれ

開山は弘法大師と伝え、15世紀に善海という僧が中興したという。

弘法大師像はもともとの本尊でなく、鶴岡八幡宮寺の子院にあったものが、近代初期の廃仏の際に移されて来たとのこと。

足の関節が可動式になっているという珍しい像で、鎖が使われているわけではないが、なぜか「鎖大師」と呼びならわされている(鎖の連なりのように信心が広がっていくからともいわれる)。

 

 

拝観の環境

弘法大師像は本堂の奥に接続してつくられている収蔵庫に安置されている。

扉の外からの拝観で少し距離はあるものの、庫内には照明もつけられていて、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は約90センチの坐像。ヒノキの寄木造。玉眼。

きりりとした顔立ち、すがすがしいまなざしの像。空海の壮年期を意識してつくったのであろうか。若々しい雰囲気である。鎌倉後期の作と考えられている。

 

足を組み、右手は胸の前で五鈷杵をとり、左手は腹の前で数珠を持つ。通行の大師像だが、裸形、着装像であるところがかわっている。足に細工があり、膝を伸ばせるようになっていることにより、衣の着脱が容易になっているとのこと。ただし上述のように、「鎖大師」と通称するものの、鎖が用いられているということはなく、木の継ぎ手を使っているらしい。

手の指には水晶製の爪をつけていて、珍しい。そのことを含め、全体に写実を目指した鎌倉彫刻らしさのある像と思う。

 

衣はヒノキの皮で染めたものだそうで、通常の僧侶は着ることが許されていない特別なものという。20年から30年に一度衣を替えるのだそうだ。

 

 

その他の仏像

本堂内陣の左右には真言八祖像が安置されている。画像では多いが、彫刻としては珍しい。近世の作。

 

また、本尊に向って左の間には、愛染明王像が安置されている。

像高1メートル弱。ヒノキの寄木造。

この像は関東大震災で大破し、長くばらばらの状態で鎌倉国宝館で保管されていたが、東京藝術大学で修復され、2011年12月にここに戻ってきた像である。なんと約90年ぶりとのこと。

頭、体はかなり当初部が残っていたが、頭上の獅子の冠や体の一部はまったく失われていたほか、ばらばらになった腕はどれがどの腕のパーツであるか修復は困難を極めたという。

膝の衣の波打つ様子や腕の付き方が、五島美術館蔵の愛染明王像(鶴岡八幡宮寺旧蔵)と共通するところから、修復にあたっては五島美術館像が参考にされたそうだ。もっとも、五島美術館の像に比べて、顔は重たげな印象であり、衣の波打ちもキレが感じされないことから、五島美術館像よりも後、鎌倉時代後・末期ごろの作ではないかと考えられている。

堂内の明るいところに安置されていて、近くよりよく拝観できる。

 

 

さらに知りたい時は…

「裸形着装像の成立」(『Museum』589)、奥健夫、2004年4月

『鎌倉の肖像彫刻Ⅱ 武人・高僧』(『鎌倉国宝館図録』37)、鎌倉国宝館、1999年

『鎌倉の文化財』第17集、鎌倉市教育委員会、1998年

「裸形像と着装像について 上」(『三浦古文化』38)、山田泰弘、1985年

『解説版 新指定重要文化財 3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、 神奈川県教育委員会、1975年

『鎌倉彫刻史の研究』、渋江二郎、有隣堂、1974年

 

 

仏像探訪記/神奈川県