五島美術館の愛染明王像

  鎌倉・鶴岡八幡宮旧蔵の優品

住所

世田谷区上野毛3-9-25

 

 

訪問日

2012年12月9日、 2015年2月28日

 

 

館までの道

五島美術館は東急大井町線上野毛駅下車、徒歩5分。

原則月曜日休館(その他展示替え期間など休館の日がある)。

 

五島美術館

 

愛染明王像は一時鎌倉国宝館に寄託されていたが、2012年の秋に五島美術館がリニューアルオープンしたのちは、再び同館内で展示されている。

おそらく今後も同じ場所で常設展示されていくものと思うが、念のために事前に問い合わせてから来館を。

 

 

入館料

1,000円(特別展は料金が異なる)

 

 

仏像のいわれなど

鎌倉の鶴岡八幡宮内にまつられていたものが、近代の神仏分離の際、すさまじい仏堂への破壊の中難を逃れ、鎌倉の寿福寺、東京の新開院、さらには小泉策太郎氏らの手を経て、五島美術館の所蔵となった。

 

 

鑑賞の環境

五島美術館がリニューアルされる前に展示されていたのとほぼ同じ場所、すなわち展示室1の入口に置かれる。

以前より明るくなり、ガラスケースごしではないのでとても見やすい。左右からも見えるよう配慮がなされている。

 

 

仏像の印象

像高は1メートル余。台座(当初のもの)上に坐す姿は堂々たるものである。

ヒノキの寄木造。 玉眼。

像身は本来は赤く塗られていたのだろうが、すべて落ち、現在は全身(光背、台座まで)黒色で統一されている。手は後補。

 

忿怒の形相にもかかわらず、丸い顔は円満さを思わせる。ほお骨のあたりが張って、それによって顔面が心地よい緊張感をはらみながら、張りのある豊かな表情となっているようだ。体部も丸みをおびている。柔らかみと精悍さを共に感じさせる。まとまりが大変よい。 

衣文も秀逸なできばえである。腰布を着け、さらに裙の折り返しの端を波のように表しているのは面白い。襞(ひだ)は自然で、しつこくなく、心地よい。

 

面奥は深く、上半身も厚みがある。これに対して膝の張りや厚みはそれほどでもない。 

台座も見事で、蓮台の花弁の表現は丁寧であり、上から下へとほんのわずかずつ大きく、厚く表現している(一部後補)。その下の丸い形をした受座は珍しい。一番下の框(かまち)や反花(かえりはな)の部分も装飾的にならず、しかしながら丁寧なつくりである。 

 

 

造像年代について

江戸期の史料によれば、鶴岡八幡宮楼門の西側に愛染堂があり、3尺の愛染明王像がまつられていた(近代以前の神仏混淆の時代には「鶴岡八幡宮寺」と称し、神殿と仏堂が併存していた)。八幡宮にはこのほか小像の愛染明王像があったことが分かっているが、大きさから本像は旧愛染堂本尊と考えられる。

八幡宮の愛染堂の存在は「金沢文庫文書」から1265年まで遡れるが、それ以前の史料には登場しない。以上のことより清水眞澄氏は、この像は愛染堂とともに1265年以前(13世紀後半に入った頃か)に造られたと論じている。この当時、日蝕などの天変地異に対して愛染明王への祈祷がたびたび行われていることが『吾妻鏡』に見え、また愛染明王への信仰が深かった叡尊の高弟忍性が鎌倉に入った時期とも符合し(叡尊自身もこの後鎌倉に下っている)、この時期に愛染明王造像が鎌倉で行われる背景があった(『中世彫刻史の研究』)。 

一方この仏像の力強い造型は、鎌倉時代後期というよりもむしろ前期の慶派に通ずるとする主張もあり、現在はむしろこちらの方が有力説となっている。

 

 

その他(小泉策太郎と愛染明王像)

五島美術館の愛染明王像を一時所有していた小泉策太郎(1872-1937)は伊豆に生まれ、政友会の代議士として活躍、策士と言われた人物である。申の年、申の日、申の刻に生まれたので「三申」と号し、史伝(『由井正雪』など)や評論も著した。一方、書画、彫刻など数百点に及ぶ古美術コレクションをつくりげたが、その中でもこの愛染明王像は有名で、高橋是清もこれを見るために策太郎宅を訪れている。

この彫刻が策太郎の所蔵に帰したのは、次のような経緯である。伊豆時代に昵懇となった僧、前島元策がのちに東京の普門寺の住職となったが、寺は窮迫しており、策太郎はこれを支援、礼として普門寺の新開院にあったこの仏像を譲り受けたのだという。しかしながら事はそれほど単純でなく、譲渡にはトラブルを伴ったともいう。

策太郎の死後、コレクションは売り立てられて散逸したが、この仏像などは実業家でやはり古美術の大コレクターとして知られていた原富太郎(三渓)が引き取り、横浜の三渓園内に策太郎を記念する展示館を設けるという話まであったらしいが、原のコレクションもまた戦後散逸する運命にあった。結局、愛染明王像は清水建設から五島慶太氏へ、そして五島美術館の所蔵となり今日に至っている。

 

 

知りたい時は…

『鎌倉×密教』(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2011年

「金沢称名寺における予言と調伏のかたち」(『研究発表と座談会 予言と調伏のかたち』)、瀬谷貴之、2010年

『愛染明王像』(『日本の美術』No.376)、根立研介、至文堂、1997年

『中世彫刻史の研究』、清水眞澄、有隣堂、1988年

『小泉三申 政友会策士の生涯』、小島直記、中公新書、1976年

「鶴岡八幡宮と神仏分離」(『三浦古文化』4号・7号)、三浦勝男、1968年5月・1970年3月)

 

 

仏像探訪記/東京都