瀧山寺の十一面観音像

鎌倉時代前期の美しい仏像

住所
岡崎市滝町山籠107


訪問日 
2025年5月8日


この仏像の姿は(外部リンク)
瀧山寺ホームページ・寺宝(宝物殿安置)



拝観までの道
瀧山寺の聖観音像、両脇侍像の項をご覧ください。


拝観料
500円


仏像のいわれなど
瀧山寺(滝山寺)宝物殿では、運慶作と推定されている3体の仏像をはじめ、さまざまな寺宝を見ることができる。運慶仏の聖観音像、梵天、帝釈天像は左の奥の方に安置されており、その手前、右側には2体の十一面観音立像が置かれている。
この2体のうち、右側の十一面観音像は像高約110センチの寄木造。平安時代末期から鎌倉時代にかけての作と思われる。スレンダーな姿のなかなか魅力的な像のようであるが、厨子中にあり、光が届かず、細部はよく見えないのが残念である。
左側の像は鎌倉時代前期の作で、右の像より小ぶりである。この項で紹介するのは、こちらの像である。

山内に観音堂というお堂があり、この2体は本来そこにまつられ、大きい方の像が本尊、小ぶりの像は前立ちであったらしい。先に大きい方の像が市の文化財指定がされて宝物殿に納まり、一方、小さな方の像は長く注目されるところとならなかった。しかし近年、その優れた作行きが大いに見直され、県指定文化財となり、宝物殿に移されてきたものである。

ただしこの像、もともと十一面観音像として作られたものかどうかはわからない。頭上面は後補で、付き方は変則的。さらに、結い上げられたまげが周りに面をつけるにしてはかなり太くつくられている。こうしたことから、本来は別の尊格であった可能性が指摘されている(文化財としての指定名称でも「木造菩薩立像(伝十一面観音)」となっている)。
本像の光背(後補)には19世紀前半に書かれた銘があり、そこに十一面観音、定朝作とあるので、その時点では十一面観音像としてまつられていたこと、定朝作との伝承を持っていたことがわかる、
なお、像内には巻物が納められているらしい。


拝観の環境
ガラスケース中に安置されており、すぐ前から、また横からもよく拝見できる。


仏像の印象
像高は50センチ弱の立像。ヒノキと思われる針葉樹を用いて、割り矧ぎ造によってつくられているようだ。玉眼。
右手は下げて手のひらをこちらに向け、左手は胸のあたりに上げているが、左の手先は失われている。頭上面が後補であるのは上述の通りで、光背のほか台座も後補。しかし、それ以外の後補部分は少なく、保存状態はかなり良好といえる。

顔立ちは若々しく華やぎがある。明快だが、少々クセのある顔つきと言えるかもしれない。目は比較的見開いており、遠くを見ているようでもあり、正面に立つと透徹した眼差しで射すくめられるようにも感じられる。
鼻筋は通り、鼻口は接近し、口もとは引き締め、顎はしっかりとつくる。ほおは丸々とというほどではないが、張りがある。
高く結い上げたまげは実にていねいにつくられている。上部で花のようにして結んだ髪の結び目がとても美しい。

衣の様子は装飾的だが、卑俗に流れるということがない。条帛、右肩から下がる天衣、下肢の衣はひだが1本1本しっかりとつくられており、それが連続するさまは素晴らしい。下肢のところはUの字型でもなく、下へバサバサと下がるのでもなく、右足では右へ左足では左へとひだが流れるさまは新鮮である。背中では天衣は風をはらみながら条帛と交差している。

腰をわずかに左側に捻るが、ほぼ直立に近い。しかしその姿勢のまま、右膝が前に出ている。それが不自然でなく、自ら衆生に近づき救おうとする姿に見えて、尊く感じられる。


さらに知りたい時は…
「瀧山寺蔵十一面観音像」(『国華』1514)、奥健夫、2021年12月
「岡崎市・瀧山寺十一面観音像と快慶工房」(『多摩美術大学研究紀要』33)、青木淳、2018年
「ほっけない仏たち23 瀧山寺の十一面観音(岡崎市)」(『目の眼』490)、青木淳、2017年9月
『愛知県史 別編 文化財3(彫刻)』、愛知県史編さん委員会、2013年
『新編岡崎市史17 美術工芸』、新編岡崎市史篇さん委員会、1984年


仏像探訪記/愛知県