瀧山寺の聖観音像、両脇侍像

  運慶作の三尊像

住所

岡崎市滝町山籠107

 

 

訪問日 

2008年8月24日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

瀧山寺ホームページ・寺宝

 

 

 

拝観までの道

瀧山寺(滝山寺)へは、東岡崎駅から名鉄バス上米河内または大沼行きで約25分、「滝山寺下」で下車し、すぐ。バスの本数は日中1時間に1本程度である。そのほかに滝団地行きのバスがやはり1時間に1本程度あり、「滝団地口」で下車、徒歩約15分で滝山寺に着く。 

 

名鉄バス

 

バス停「滝団地口」から「滝山寺下」までの途中に、滝山寺の三門(山門)がある。室町時代の立派な門で、そこから庫裏や本堂までは数百メートルある。滝山寺はかつて三河随一というほどの繁栄を誇った寺で、この門と本堂の間にも数多くの子院があったらしい。

江戸時代、滝山寺は徳川氏によって厚く保護され、3代家光によって境内に滝山東照宮がつくらた。お寺の神社は神仏分離を経て現在は別法人ではあるが、「滝山寺下」バス停の前には鳥居があり、くぐって石段をあがっていくと、滝山寺本堂の前に出る。

本堂に向って右奥に東照宮が立ち、その前の坂を下って行くと、左側に滝山寺の庫裏と宝物館(収蔵庫)がある(この道をさらに下ると、滝山寺下バス停より100メートルほど東側にでる)。

 

収蔵庫前に呼び出しベルがあり、お寺の方をお呼びして開けていただく。連絡してからうかがった方が確実と思う。

 

 

拝観料

宝物館300円

 

 

仏像のいわれ

この寺には慶派の聖観音像、梵天・帝釈天像が伝わっている。もと子院の惣持禅院の本尊と伝える。

寺に伝わる『滝山寺縁起』によると、惣持禅院は、熱田神宮家の出身で頼朝の従兄弟にあたる寛伝という僧が、頼朝の菩提のために、その3回忌にあたる1201年に開創し、仏像は運慶、湛慶父子が制作したという。また、中尊の聖観音像は頼朝等身の大きさであり、像内には頼朝のひげや歯を納めたとも述べられている。

 

この像をX線撮影したところ、頭部内に小さな納入品があることが確認され、これが縁起にいう頼朝の歯である可能性がある。『滝山寺縁起』は14世紀初頭に古記録を集めて編纂したものであり、全体的に信憑性の高い記述がなされているすぐれた史料である。また、この像と横須賀・浄楽寺阿弥陀三尊像脇侍像との比較からも、この像が運慶作である可能性は十分あると考えられている。

 

 

拝観の環境

三尊像は収蔵庫の左奥に安置され、あかりも十分で、近づいて、また側面からもじっくり拝観できる。

 

 

仏像の印象

中尊・聖観音像は、像高170センチ余り、ヒノキの寄木造、彫眼。

まげを高く結い、丸顔、高貴なまなざしである。体、特に上半身はどっしりとつくる。裙(くん)や腰布のひだはしっかりと刻まれる。全体に存在感があるすぐれた像である。

 

脇侍の梵天、帝釈天像は像高1メートルあまりの立像だが、中尊同様存在感ある像である。いずれも彫眼である。

梵天は四面四臂という珍しい姿で、東寺講堂像(ただしこちらは鳥獣座に乗る坐像である)を思い起こさせる。帝釈天像も東寺像に近い。この像の制作年代とされる1201年の直前に運慶は東寺講堂諸尊の修理を担当しており、その時の経験がこれらの像の造立に影響を与えたということは大いにありうることである。

 

これら3体は江戸時代の彩色に覆われている。写真で見るとかなりどぎつい感じで、落として古色をあらわすと面目を一新するのではなどと勝手に思っていたりしたが、実際に拝観させていただくと思ったほどの違和感はなかった。裏返る天衣、腰布の端、裙の模様などの色の変化が大変丁寧につけられていて、近世ながらその時代の信仰に裏打ちされた確かな仕事が見られ、これはこれで尊いと感じられた。

なお、保存状態は全体に良好である。ことに、冠や装身具、光背、台座の大半も本体と同時期である可能性がある。

 

 

その他の仏像について

滝山寺の収蔵庫には、一木造の十一面観音像、天台大師像、中世の狛犬1対、追儺面3面なども安置されている。

追儺面は3面のうち一番大きなものは、縦50センチ以上ある迫力あるものである。

毎年2月に行われる滝山寺の鬼祭りは有名で、 県の無形文化財にも指定されている。 そのクライマックスには「翁」「婆」「孫」の面をつけた鬼が登場し、たいまつを持った男たちが本堂を駆け巡る。収蔵庫の面はかつて使われていたもので、現在はそれをもとに新たにつくった面で行事を行っているそうだ。

 

滝山寺にはこのほか、本堂内にも仏像が多く安置されていて、お願いすると拝観できる。ご本尊は薬師如来像で、50年に一度開扉の秘仏。その周囲に、脇侍の日光、月光菩薩像、前立ちの銅造の薬師像、十二神将像、不動、毘沙門像などが立ち並び、壮観である。十二神将像は鎌倉期の作だが、不動、毘沙門の両像は平安時代後期の一木造の像である。また、本堂も中世の建築で、近年屋根を吹き替えたということもあり、美しい建物である。

三門の仁王像も中世にさかのぼる像であるが、柵で囲まれ、近づいて見ることはできない。

 

 

さらに知りたい時は…

「特集 運慶と鎌倉殿の仏師たち」(『芸術新潮』871)、2022年7月

『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2018年

『運慶』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2017年

「特集 オールアバウト運慶」(『芸術新潮』2017年10月号)

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『仏像の知られざるなかみ』(『別冊宝島』1988)、宝島社、2013年

『運慶』、山本勉ほか、新潮社、2012年

「愛知・瀧山寺聖観音・梵天・帝釈天像の付属荘厳具」(『フィロカリア』29)、三本周作、2012年

『運慶にであう』、山本勉、小学館、2008年

『天台のほとけーその美術と三河の歴史』(展覧会図録)、岡崎市美術博物館、2003年

『運慶の挑戦』、上横手雅敬・松島健・根立研介、文英堂、1999年

「源頼朝ゆかりの造像」(『三浦古文化』50)、鷲塚泰光、1992年7月

「滝山寺本尊薬師如来坐像について」(『岡崎市史研究』11)、佐藤昭夫、1989年

『新編岡崎市史』17、新編岡崎市史編集委員会、1984年

「滝山寺聖観音・梵天・帝釈天像と運慶」(『美術史』112)、松島健、1982年3月

 

 

仏像探訪記/愛知県