宝珠寺の大日如来四菩薩像

年に1日、秋に開扉

住所
南アルプス市山寺950


訪問日 
2025年10月11日


この仏像の姿は(外部リンク)
南アルプス市・大日如来及四波羅蜜菩薩坐像



拝観までの道
南アルプス市の宝珠寺は、「ほうしゅうじ」とお読みするのが正しいそうだ。
交通は、甲府駅バスターミナルから鰍沢営業所方面行き山梨交通バスに乗車し、「小笠原下仲町」下車。西へ徒歩約15分。
近くには南アルプス市のコミュニティバスの停留所がいくつかあり、時間が合えば身延線の東花輪駅から来ることができる。

このお寺に伝わる大日如来像四菩薩像は、境内の収蔵庫に安置されている。普段は非公開。
2024年より秋に1日、一般の拝観ができる日を設けてくださるようになった。2024年は9月下旬の土曜日だったが、近年の残暑の厳しさを鑑みて、2025年は10月に移った。問い合わせは南アルプス市文化財課。


拝観料
志納


お寺や仏像のいわれなど
曹洞宗寺院。かつては真言宗であったと伝える。しかし寺史はほとんど伝わらない。鎌倉時代前期にこの地域の有力武将である小笠原長光が毘沙門天を勧請して再興したともいう。曹洞宗に転じたのは江戸時代前期のことである。
このお寺に伝わる大日如来四菩薩像は、奈良時代にこの地に来た行基が自ら刻んだ、あるいは鎌倉時代前期に開眼したといった話が伝わる。かつては五智如来像と呼ばれていたが、1991年に、現行の「木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像」の名称で国指定重要文化財となった。


拝観の環境
大きな収蔵庫の中には壇がしつらえられ、大日如来像を中心にまわりに4体の菩薩像を置く。照明もあり、壇の近くに寄れるので、とてもよく拝観させていただけた。ただし横や背面には回れない。


仏像の印象
大日如来四菩薩像は、像高は大日如来像がおよそ1メートル、4菩薩像が約80センチ。すべて坐像。樹種はヒノキという。構造は寄木造か割矧ぎ造(大日と4菩薩の1体が寄木)。表面の薄い赤い色の仕上げや台座・光背は後補。本体に後補・新補部分は少なく、保存状態は非常に良好といえる。

大日如来像は忍者がドロンする時に組むような印(智拳印)を結ぶ。大日如来の姿には金剛界大日如来像と胎蔵界大日如来像の2種があるが、この印を結ぶのは金剛界大日如来像である。なお、如来の姿の通例は頭は螺髪とし、大きな布をまとい、アクセサリー類をつけないが、大日如来は例外で、髪は結い上げ、上半身には条帛をたすきにかけ、アクセサリー類をつける。一般的な菩薩像と同じ姿で、当寺の像もこの形である。
周りに安置される菩薩像もほぼ同様の姿である。すなわち5体はほとんど同じ姿(印相以外は)ということになる。
ただし、大日如来は像高がひと回り大きく、全体的に堂々とした姿につくられている。特にまげは、細くつくられている4菩薩に対し、大日如来のものは比較的大ぶりな螺髻とし、天冠台の飾りも大きくあらわす。

中尊が一般的な金剛界大日如来像の姿であるのに対して、四菩薩像は特異な印相をしている。
前列向かって右側の羯磨波羅蜜(かつまはらみつ)菩薩像は体の前で両手の指を交互にして組んでいる。我々が「手を組んで」と言われたら普通にする形であるが、密教では基本的な印の結び方の一つで「外縛印(げばくいん)」といい、軽くではなくしっかりと組む、また右を上にして組むという決まりがあるらしい。他の3菩薩はこの外縛印から左右の第3指(中指)を立てて合わせる。この合わせ方が少しずつ異なっている。
足は大日如来像と4菩薩の1体は右足を上に組む通例の形であるが、3像は左足を上にしているようである。

5体はともに優美で洗練された雰囲気である。平安時代後期・末期の様式の像であるとわかる。
顔立ちは秀麗で、どちらかというと細面だが、ほおはゆったりと膨らむ。目鼻口は中央に寄り、伏目がちとし、口は小さくあらわす。
座る姿も姿勢がよく、素肌を見せる部分はつややかな肉身を感じさせる。腕は細く、繊細で、美しい腕飾りを付ける。条帛は細めにして着ける。脚部は低めで、衣のひだは優しく流れる。
とにかく穏やかで優美な造形であり、ため息が出るほどである。
身延町の大聖寺の不動明王像もそうだが、非常に洗練された造形から中央との関係のある勢力によって作られた、あるいはもたらされたのではないかと推測できそうである。

なお、大日如来像の像内には「願主」として「金剛佛子勝阿」の名前が書かれているが、残念ながらこの人物については不詳。


四波羅蜜菩薩像の像名について
一般的に金剛界大日如来像とそれを囲む4像の組み合わせといえば、五智如来像ということになる。本像もかつては五智如来像と呼ばれていた。
五智如来像は、中尊が金剛界大日如来像であれば、あとの四仏は阿閦(あしゅく)如来・宝生如来・無量寿如来・不空成就如来の金剛界の4如来となる。「金剛頂経」に基づく金剛界曼荼羅において、これら4如来は大日如来を除けば最も重要な存在である。五智如来像の遺例はそれほど多いとはいえないが、京都・安祥寺五智如来像など、いくつもの優れた像が伝来している。
ところが本像は、すでに述べたように大日如来像を囲む4像が菩薩形であり、かつその4像が珍しい印相であることから、通例の五智如来像とは異なると考えざるを得ない。そこで、文化財指定にあたって大日如来及び四波羅蜜菩薩の像と改められたわけだが、では四波羅蜜菩薩とはどのような菩薩であろうか。

金剛界曼荼羅の形を思い出していただきたい。
対となる胎蔵曼荼羅が大日如来を中心にその慈悲が外へとあまねく広がっていくさまが描かれるのに対して、金剛界曼荼羅は整然と分割された9つの四角形によって構成されている。それぞれに名称があり、真ん中の(そして最も重要な)区画を成身会(じょうじんね、じょうじんえ)という。中心には大日如来、その周りにはたくさんの仏、菩薩が描かれるが、大日如来に一番近いところには4菩薩が配される。これらが金剛波羅蜜菩薩、宝波羅蜜菩薩、法波羅蜜菩薩、羯磨波羅蜜菩薩、すなわち四波羅蜜菩薩である。
金剛界曼荼羅において大日如来とともに最も重要な存在が阿閦如来・宝生如来・無量寿如来・不空成就如来の4如来であることはすでに述べたが、四波羅蜜菩薩はこれら4如来がそれぞれの役割を象徴する菩薩として大日如来の周囲に生み出したものなのである。

宝珠寺の4菩薩像の名称として、金剛界曼荼羅の成身会中央の大日如来を囲む四波羅蜜菩薩はまことにふさわしいと思われる。

だが、話はもう少し複雑である。実は、金剛界曼荼羅に描かれた四波羅蜜菩薩の手の形(印相)と宝珠寺の四菩薩の印相は、まったく異なっているのである(上半身の布の着け方も)。曼荼羅の各尊の姿は忠実に写され続けていくべきものであり、印相が一致しないというのでは、同一の尊とみなすことはできない。しかしながら、四波羅蜜菩薩以外で大日如来とともに5尊を構成するにふさわしい密教の菩薩像を求めても、宝珠寺の4菩薩像と同じ印相の像を見出すことはできない。

そこで、宝珠寺の4菩薩像の手の組み方の形にさらに注目し考えていくと、三昧耶(さまや、さんまや)形であることに思い至る。三昧耶とは、密教において各尊を象徴するもの(シンボル)で、尊像ごとに持物(法具など)や印形(手の構え)により定められている。金剛界曼荼羅のいくつかの部分にも尊を三昧耶形で描くところがある。通行の尊形であらわされるだけでなく、こうした象徴物に変えて示したりもするのは、仏の世界に近づくためにイメージを重視する密教ならではのことである。
そして、真言密教の主たる経典である「金剛頂経」を構成するお経の中などに示される阿閦・宝生・無量寿・不空成就の4如来の三昧耶形が宝珠寺の4菩薩の手の形とほぼ一致し、さらに経典の記述によるとこれら四如来の三昧耶形は四波羅蜜菩薩のそれと同じと説かれているという。こうした道筋をたどることで、宝珠寺の4菩薩は四波羅蜜菩薩像と判断されたわけである。


改めて五智如来像である可能性
一方、この4像を四波羅蜜菩薩像とすることに否定的な意見もある。
天台宗の円珍(智証大師)が唐より将来した「五部心観」(金剛界曼荼羅の異本、すなわち空海将来の曼荼羅とは別系統のもの)の中の図像(金剛界曼荼羅の左上の区画である「四印会」を描いた部分)に金剛薩埵(さった)、金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業(金剛羯磨)菩薩に対応する三昧耶形が記されたものがあり、これが宝珠寺の4菩薩の印にまさしく一致するという。このことから、宝珠寺の4菩薩を四波羅蜜菩薩と見るの誤りで、正しくは天台密教系による金剛薩埵以下の4菩薩と考えるべきとする。これらの4菩薩は大日如来の無限の徳を現実に実践する菩薩であり、さらに四印会においては成身会など他の金剛界曼荼羅の区画の理念を表象する存在とされる。そして、その印は阿閦如来以下の金剛界の4如来に通じるものであるとして、宝珠寺の4菩薩は菩薩形ではあるが、まさしく金剛界四仏そのものであるとする説である。そうすると、宝珠寺の五尊は五智如来像(の異形)ということになる。
こうした議論は密教の教え、経典の内容、曼荼羅や他の図像などにかかわってくるため、非常に難しい。

しかし、宝珠寺の大日如来四菩薩像が他に類例を見ない極めて珍しく魅力的な像であるということは間違いない。


その他
本堂内にまつられている毘沙門天像(像高約2メートルの堂々たる像、このお寺の本来の本尊と考えられている)も拝観させていただけた。
大日如来四菩薩像は平安時代末期ごろの作、毘沙門天像は少し遅れて鎌倉時代初期ごろの作と考え、それがこの地域の有力武将の加賀美遠光、小笠原長光父子の活躍時期と符合するとして、彼らが像造立の立役者であったとする魅力的な推測がある。


さらに知りたい時は…
『歴史舞台を駆けた南アルプス市の甲斐源氏』(南アルプス市埋蔵文化財ガイドブック第4集)、南アルプス教育委員会、2014年
『大日如来の世界』、頼富本宏 編、春秋社、2007年 

『「金剛頂経」入門 即身成仏への道』、頼富本宏、大法輪閣、2005年
『大日如来像』(『日本の美術』374)、山本勉、至文堂、1997年7月
『信仰の美術 密教の表現と甲斐の諸仏』(展覧会図録)、櫛形町立春仙美術館、1996年
「宝珠寺の伝五智如来」(『甲斐中世史と仏教美術』、名著出版、1994年)、濱田隆
『月刊文化財』334、1991年7月
『櫛形町誌(本編・史料編)』、櫛形町、1966年


仏像探訪記/山梨県