京都国立博物館寄託の五智如来像

安祥寺創建期の五仏

住所

京都市東山区茶屋町527

 

 

訪問日 

2018年2月4日、 2019年8月16日

 

 

 

館までの道

京都国立博物館は京都駅烏丸口(北口)から徒歩で東北東へ20~25分。賀茂川を渡り、京阪電車の七条駅を過ぎると東山通の方に向かって少しずつのぼりになる。七条駅からは徒歩5分強。バス停は「博物館三十三間堂前」が最寄り。

原則月曜日休館。

 

京都国立博物館

 

  

入館料

名品ギャラリー(常設展)の観覧は一般520円。ただし特別展開催中は別料金。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

京都国立博物館の展示棟は本館と新館の2つからなる。本館は19世紀末にこの博物館が開かれて以来の建物で、レンガづくりの美しい展示館であり、「明治古都館」と呼ばれている。

一方、新館は常設展示館として1966年につくられたが、老朽化が進んだため建て替えとなり、2014年に「平成新知館」として生まれ変わった。

1階の彫刻の展示室(2階部分まで吹き抜けとなっている)では、オープン以来大阪・金剛寺の大日如来像があたかも本尊のように展示室中心に置かれていたが、金剛寺金堂大修理が終わって、お戻りになった。かわって中心的な位置に展示されることになったのが、安祥寺(あんしょうじ)五智如来像である。

 

安祥寺は京都市山科区にある真言宗寺院。9世紀半ばに創建され、寺域は上寺(山上伽藍)とふもとの下寺(山下伽藍)にわかれていた。

しかし、他の多くの寺院と同様時代とともに荒廃していき、応仁の乱でついに廃絶。下寺は江戸時代に現在地(旧安祥寺下寺の北側)で再興されたものの、上寺(現安祥寺の北北西、直線距離にして1キロ半くらいの山の中にあった)は再建されることはなかった。

現在の安祥寺は十一面観音を本尊とする本堂(江戸時代)などのお堂があるそうだが、拝観は受け付けていないという。

 

五智如来像は、安祥寺の創建期につくられた仏像で、歴史の荒波の中、今に伝えられたのは奇跡のようである。江戸時代には多宝塔内に安置されていたが、その多宝塔も近代に焼失。しかし本像はそれ以前に京都国立博物館に寄託されていたため、難を逃れた。

かつての京都国立博物館新館で常設展示されていた時には、あまり高い位置でなく、大日如来を中心にそのまわりを4如来が囲む形に置かれていたと記憶する。

 

 

鑑賞の環境

平成新知館の展示では5躰が横1列でならべられている。展示位置も高くなり、照明も整えられ、また像自体も修復されたこともあって、その力強い造形が大変印象深く鑑賞できる。

 

 

仏像の印象

五智如来像は、9世紀なかばの真言密教の本格的な遺例として、また中国美術の影響を強く受けた像として、そして平安時代前期の乾漆併用木彫の代表例のひとつとして大変貴重である。さらに、5躰一具が揃って伝わる最古の五智如来像であることも特筆に値する。

 

中央の大日如来像は他の如来よりも大きく、威風堂々としている。像高は約160センチの坐像で、台座も1メートル以上の高さがある。また、一種茫洋たる気宇壮大さが感じられる。

智拳印すなわち手を忍者のように組んだ、金剛界大日如来像である。

顔は四角張り、眉を高々とあげ、目は比較的大きく見開く。髪はたっぷりとして、螺髻はダイナミックに、また額の上の髪のたばや耳を横切る髪もボリュームがある。上半身もひときわ大きくたくましい。腕も太く、脚部も堂々としている。

細かな造形の妙というよりも、仏の偉大さを大づかみにして造形したといった印象である。

 

他の4如来だが、向かって右から阿しゅく如来、宝生如来、大日如来をはさんで阿弥陀如来、不空成就如来の順にならんでいる。像高は約110センチ。この4像は脚部まで共木でつくられているという。

阿弥陀如来像のみ通肩だが、他は右肩を出す。手の形は異なるが、他はほぼ同じような姿で、単純な面による構成によってつくられている。

口は小さく、あごも小さい。目はあまり見開かない。

衣のひだは、布がたるんでいるさまがよくあらわされている。

 

 

その他1

安祥寺は恵運(えうん)が仁明天皇の女御、藤原順子の支援によって開創した寺である。

恵運は、空海の十大弟子のひとり実恵の弟子で、入唐し、東寺の観智院本尊の五大虚空蔵菩薩像を中国よりもたらした(この像ももとは安祥寺に安置された)。

恵運の在世中に作成された安祥寺の資財帳(財産目録)の写本が伝わり、「日本三代実録』など他の史料とあわせて、創建時の安祥寺の姿はある程度分かる。

しかし、資財帳の写本の正確さに疑問符がつくこと、資財帳からは安祥寺の上寺・下寺の伽藍整備の過程がわからず、さらに仏像と安置堂宇の関係が示されていないこと、またかつての寺域の調査が十分でなかったことから、不明な点も多かった。

五智如来像が当初どの堂宇に安置されていたのか、長く議論がなされてきたが、近年、資財帳の校定が進み、また現地の調査も行われて、新たな知見が得られた。それらを踏まえて、本像は安祥寺上寺の中心的なお堂であった礼仏堂本尊であったとする説が強まっている。

 

大日如来像
大日如来像

 

その他2(西の庭の石仏)

京都国立博物館の敷地内の西南の一角の緑豊かなスペースは「西の庭」と呼ばれ、石仏がいくつか安置されている。

安楽寿院からの寄託品である阿弥陀三尊像とその横の大日如来像は平安時代の作。木の下に控えめに置かれている地蔵菩薩像は鎌倉時代、堂々と立つ不動明王像は室町時代の作。いずれも優品である・

 

 

さらに知りたい時は…

『月刊文化財』669、2019年6月

『新指定 国宝・重要文化財』(展覧会図録)、文化庁ほか、2019年

『平安仏教彫刻史にみる中国憧憬』、佐々木守俊、中央公論美術出版、2017年

『遣唐使と入唐僧の研究』、佐藤長門、高志書院、2015年

『安祥寺資財帳』、思文閣出版、2010年

『皇太后の山寺 山科安祥寺の創建と古代山林寺院』、上原真人編、柳原出版、2007年

「安祥寺五智如來坐像について」(『国華』1306)、佐々木守俊、2004年8月 

『安祥寺の研究 成果報告書』1、京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム『グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成』第14研究会、2004年

『日本彫刻史の視座』、紺野敏文、中央公論美術出版、2004年

「平安京周辺の山岳寺院」(『仏教芸術』265)、梶川敏夫、2002年11月

「安祥寺五智如来像,観心寺仏眼仏母如来像・弥勒如来像とその周辺」(『Museum』514)、丸山士郎、1994年1月

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・重要作品篇』4、中央公論美術出版、1982年

 

 

 

仏像探訪記/京都市