宝積院の十一面観音像

  毎年8月10日に開扉

宝積院観音堂
宝積院観音堂

 住所

山形市鮨洗136

 

 

訪問日 

2013年8月10日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

山形の宝 検索navi

 

 

 

拝観までの道

宝積院(ほうしゃくいん)は、JR左沢(あてらざわ)線の羽前山辺駅の東方にある。

駅の南側で線路を越え、東へ。鮨洗(すしあらい)大橋で最上川支流の須川を渡って東北方向へ向かう。駅から歩いて15~20分くらいである。

なお、駅前にはタクシーが常駐している。

 

十一面観音像は毎年8月10日に開帳されている(ほかに1月1日も?)。

このお寺は普段は無住で、西林寺(大江町)というお寺が管理をされている。そちらに電話でお聞きしたところ、開帳の時間は10時くらいから14時くらいまでというお話だった。

筆者は11時ごろに着いたところ、信者の方が集まってご詠歌をされていた。

少し待って、すぐ前で拝観させていただけた。

 

 

拝観料

特に拝観料等の設定はなかった。

 

 

仏像のいわれなど

十一面観音像は、もと山形市内の宝幢寺に伝わった仏像というが、それ以前の伝来は不明。

宝幢寺は京都の醍醐寺光台院の末寺で、かつては大きな寺院であり、その庭は江戸時代前期に時の山形城主によって整備されたという。しかし近代初期の廃仏に際して廃寺となり、庭園のみ「もみじ公園」という名前となって現存している。

宝幢寺の消滅により、本像はその関係寺院であった宝積院にもたらされたという。

 

 

拝観の環境

十一面観音像は本堂の南側に東面して建つ観音堂の奥、耐火式になったスペースに安置されている。

ガラス越しながら、ライトがあり、よく拝観できた。

 

 

仏像の印象

像高約50センチの立像。カヤの一木造。頂上仏から蓮肉まで一材で、内ぐりもない。

9世紀後半頃の作。

檀像風の凋密な彫りが極めて美しく、息をのむほどである。

 

一見、細面で落ち着きのある顔立ちのように感じるが、面奥が深く、細めの目も彫りがくっきりと深く、強い印象である。ほおも豊か。

全体に神経が行き届いた丁寧なつくりで、存在感がある。

 

肩はややなで肩。天衣は左肩を外してかける。条帛は右の腰の下まで及ぶ。下肢では天衣がからむ。両足の動きをはらんだ間合いなども、本当にすばらしい。天冠台の細かな模様やその下の美しい髪束、また左右に下がる紐の様子もたいへん優美である。

豊かな胸や腰のひねりによって生じた胴のくぼんだ線は、潔い造形というか、そんな感じがする。すばらしい仏像と思う。

 

頂上仏面は前面が削られていて残念である。しかし非常に興味深いことに、この仏面は顔の下、肩から胸、さらに腕までもつくり出されている(手の部分は後補だが、おそらくもともとこのような形でついていたものを踏襲して修理した結果現在のような姿となっていると思われる)。ただし、正面の拝観位置からはわかりにくいが。

 

 

その他

十一面観音像の頂上の仏面について、頭部のみならず肩までも表現している例としては、法華寺(奈良市)の像、道明寺(大阪府藤井寺市)の像、長円寺(大阪府羽曳野市)の像などが知られる。この中では、細部について、長円寺の十一面観音像と本像とは共通点があるとの指摘がある。ただし、本像の仏面は手までつくられているのに対して、上記の像は肩までがつくられている点が異なる。

さらに、手の下の脚部まで表現されている像も存在する。法用寺の十一面観音像(福島県会津美里町)や西光院の十一面観音像(茨城県石岡市)である。しかし、こうなると如来坐像のほぼ全身が観音像の頭上に乗っかっていることになり、もはや「仏面」とはいいがたい。

こうした異形の頂上仏面がどうしてつくられたのかは、興味深いテーマである。

 

(参考)『仏像集成』1(学生社)、347ページにこの像の頭上面の大写しの写真があります。

 

 

さらに知りたい時は…

『ふるさとの仏像』、山形市教育委員会、2011年

『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2006年

「十一面観音像が戴く異形の頂上仏面をめぐって」(『仏教美術と歴史文化』、法蔵館)、津田徹英、2005年

「十一面観音像の表現」(『シルクロード学研究』11)、井上一稔、2001年

『仏像集成』1、学生社、1989年

「山形宝積院十一面観音像をめぐって」(『美術史』121)、長岡龍作、1987年1月

『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

 

 

仏像探訪記/山形県