葛井寺の千手観音像

  毎月18日に開扉

住所

藤井寺市藤井寺1丁目16-21

 

 

訪問日 

2009年1月18日、 2017年6月18日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

藤井寺市の指定文化財・葛井寺と国宝千手観音

 

 

 

拝観までの道

葛井寺(ふじいでら)は、近鉄の藤井寺駅下車、東南に徒歩5分くらいのところにある。

千手観音像は本堂に安置され、毎月18日に開扉される。

 

西国第5番紫雲山葛井寺

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺のいわれ

葛井寺は、この地の渡来系氏族である葛井氏によって古代に創建されたと考えられている。草創時の葛井寺について分かっていることは少ないが、奈良時代、葛井氏出身の僧や造東大寺司の技術系官僚が活躍していることが知られ、一族の隆盛が氏寺の創建につながったのであろう。境内からは奈良時代前期にさかのぼる瓦が発見されている。

 

中世には戦乱や地震の被害にたびたびあう一方、本尊の霊験が広く知れ渡り、観音霊場として多くの信仰を集めるようになった。寺に伝来する室町時代制作の「葛井寺参詣曼荼羅」を見ると、南大門と中門の2つの門をもち、現本尊を真ん中に安置した本堂、東西両塔、そしてさらに多くの堂が立ち並んでいる様子が描かれ、当時の寺の隆盛がわかる。ただし、現在の本堂は江戸時代後期に建て直されたものである。

なお、西国三十三所観音霊場の第5番札所となっている。

 

 

拝観の環境

像までの距離がややあり、また像の前にはさまざまなお供え物も置かれ、若干拝観しづらい。

 

 

仏像の印象

本尊の千手観音像は、奈良時代中期ごろの作である。

脱乾漆造という、奈良時代に盛んに行われた方法でつくられている。像高は150センチ弱の坐像で、堂々たる大きさである。

千手観音に関する経典は奈良時代前期から日本に入って来たが、本像はその作例として最古のものである。

 

この像の最大の特色は、脇手が本当に千本つくられているところにある。

多くの千手観音像では、手は42本に省略されるが、本像のように本当に千本の手を持つ千手観音像を「真数千手観音」と呼ぶことがある。唐招提寺金堂の千手観音像とともに奈良時代の真数千手観音の双璧である。少しあとの作例では、南山城の寿宝寺の千手観音像などもある。

 

本像は脇手を円形に美しく広げ(ただし手は、当初に比べて横広がりになっている可能性がある)、脇手は桐の木を木心に乾漆でつくられている。仏像彫刻で桐を用いるのは珍しいが、多くの手を取り付けるために軽量化をはかった工夫と考えられる。

体の中には支柱は少なく、奈良時代の他の脱乾漆像の像内にはさまざまに支柱が組まれているのと異なっているが、もしかしたら以前の修理の時に変更が加えられたのかもしれない。いずれにしても、少ない支柱にもかかわらず、像にはほとんどゆがみがみられない。

 

座高は高く、それを支える下半身はしっかりと膝を張っていて、安定感がある。衣の襞(ひだ)がおおらかに、自然に流れる。体はわずかに前傾する。

顔はやや小さめで、表情は静かである。首飾りは派手ではないが美しい意匠。頭上の面は一列にほどよく広がるが、何面かは後補である。台座も当初のものだが、若干改変されているらしい。光背は、脇手があたかも後光のように広がっているのでこれをもって代替としたのか、付いていない。

 

多くの千手観音像では正面で合掌する手の下に2本の手で鉢をささげ持つ(宝鉢手)が、この像ではこの手があらわされない。日本では珍しいが、この両手で宝鉢をとるという図像は経典には明示されているものでなく、この像のような姿は中国でもみられる。本像は、日本における千手観音の図像が定着する以前の作例であり、奈良時代らしい誇張をともなわない理想美を追求した像であるということができる。

なお、本像については、藤原広嗣の乱(740年)鎮定のために国ごと高7尺の観音像を造れとの勅命が出されたが、その観音像にあたるという説がある(7尺は坐像では3尺半であり、この像は髪の生え際までを計ると3尺半である)。魅力的な説ではあるが、むしろ奈良時代の一時期、光明皇后や藤原仲麻呂の信頼を得て広く活躍した葛井氏の造像と考えてよいのではないかという意見も出されている。

 

像内の心木に墨書があり、江戸時代中期に大仏師法橋運長が修理したことが知られる。

 

 

その他

千手観音像の左右には聖観音像と地蔵菩薩像が立つ。それぞれ150センチほどの立像で、一木造、平安時代中期くらいの作と思われる。

 

 

さらに知りたい時は…

「古代寺院の仏像」(『古代寺院』、岩波書店)、藤岡穣、2019年

『仁和寺と御室派のみほとけ』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2018年

『日本美術全集』3、小学館、2013年

『週刊 原寸大日本の仏像』45、講談社、2008年5月

「盛唐の千手観音彫像と葛井寺千手観音像」(『仏教芸術』262)、山岸公基、2002年5月

『藤井寺市史 各説編』、藤井寺市史編纂委員会、2000年

「葛井寺千手観音菩薩坐像小考」(『美術史学』20)、近藤暁子、1999年

『週刊朝日百科 日本の国宝』035、朝日新聞社、1997年10月

『藤井寺市史10(資料編8下)』、藤井寺市史編纂委員会、1993年

『国宝 葛井寺千手観音』、大阪市立美術館、1995年

「河内の国宝仏像」(『仏教芸術』119号)、倉田文作、1978年8月

 

 

仏像探訪記/大阪府