円教寺大講堂と常行堂の平安仏

  大講堂本尊は創建時の像と考えられている

住所

姫路市書写2968

 

 

訪問日

2009年7月19日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

書寫山圓教寺ホームページ

書寫山圓教寺・文化財・史跡

 

 

 

 

拝観までの道

*円教寺までの道のりについては、円教寺食堂の金剛薩埵像の項をご覧ください。

 

円教寺の本堂にあたる摩尼(まに)殿の裏手から林の中を5分くらい進むと、三之堂(みつのどう)とよばれる大講堂、食堂、常行堂に出る。中世のお堂がコの字の形に並んでいて、密度の濃い空間になっている。

このうち食堂は2階が宝物館になっていて、拝観できる。大講堂と常行堂内の仏像拝観は事前申し込みが必要。円教寺のホームページにメールがついているので、そこからお願いするとよい。

 

 

拝観料

500円(マイクロバス乗車を希望する場合は1,000円)

 

 

大講堂について

円教寺をひらいた性空(しょうくう)上人の時代につくられた時には檜皮葺(ひわだぶき)のお堂であったが、13世紀に2階建てに建て直された。その後2度の火災を経て、現在のお堂は15世紀に再建されたものである。

安置されている釈迦三尊像は、創建当初からの像と考えられている。

内陣は、廻りは板敷きだが、中央部はレンガが敷かれた土間となっていて、そこに須弥壇が置かれ、釈迦三尊像が安置されている。こうした形式は延暦寺の根本中堂と共通する。ご案内くださったお坊さんは、この土間の距離が彼岸と此岸を表しているとおっしゃっていた。

 

 

拝観の環境

須弥壇のまわりは土間で、そこへは降りられないのでやや像までの距離があるが、堂内、明かりもつけてくださり、正面だけでなく側面からもよく拝観できてよかった。

 

 

仏像の印象

釈迦三尊像は、ヒノキの一木造。中尊は内ぐりがあるが、脇侍は内ぐりもない古様な作り方の像である。肉身は漆箔、衣は黒漆で仕上げられている。

中尊は約140センチの坐像で、厳しい顔つきがいかにも山岳の仏教の像という感じである。体は大きな四角の固まりのようで迫力がある。横から見ると、胸板は厚く、堂々としている。下半身の衣はしっかりと足をくるんで緊張感があるが、襞(ひだ)はそれほど深くなく、やわらかな流れが心地よい。

前に突き出した腕がまた、魅力的である。腕のやわらかさ、しなやかな様子が表現されている仏像もあり、それはそれでひかれるが、この仏像ではそうした人間らしさを求めない。人を越えたものとして、あえてぶっきらぼうに腕や手首をつくっているという印象がある。

 

脇侍は150センチあまりの立像で、堂々たる中尊の脇に立つ細身の像だが、なかなか存在感がある。前からは三角に見える素朴な冠をつけ、首、腰をわずかに曲げるが、ややぎこちなくもある。衣はなかなか流麗で、変化をつけている。下肢には翻波式衣文が見られる。

 

 

常行堂の阿弥陀如来像について

大講堂に向かい合う常行堂も、2度の焼失ののち15世紀に再建された堂である。舞台が付属するなど、おもしろいつくりの建物である。

大講堂同様、お願いしておけば中で拝観させていただける。

 

本尊は阿弥陀如来坐像で、像高は250センチと、丈六の大きな仏像である。寄木造で材はヒノキと思われる。

もと常行堂本尊は四菩薩を従えた阿弥陀如来像であったと思われるが失われ、本来他の堂の本尊であったこの仏像が迎えられたのだという。

ややクセのある像で、目はつり上がり、口はぐっと結んでいるが、斜めからは穏やかな表情に見える。上半身は高く、肘はほとんど張らず、膝は低いが左右には不自然なほど広げている。全体に平面的な印象だが、斜めの位置に立つと不自然さがすっとが消えていく。美しい仏像である。定朝が仏像の決定版を作り出す少し前、11世紀初頭の大作。

 

像内には墨書銘がある。僧慶雲、清原是信、僧聖静など造像にたずさわった人物の名前のほかに、 興味深いことに、月輪(がちりん)、さかさ卍(まんじ)などが書かれている。月輪の周縁には火炎を描き、中には光明を発する梵字(阿弥陀を意味するキリーク)が書かれている。この月輪はちょうど像の胸の位置に描かれているので、像に魂を込めるといった意味合いであったのではないかと考えられる。

 

 

その他

書写山の標高は400メートルもないが、平野から直接立ち上がっていることもあり、なかなか険しい。現代においても一般車は山に上がれない。

近年この寺で映画のロケが行われた。『ラスト・サムライ』である。映画の構想段階で姫路城を見に来た監督がたまたま訪れ、いっぺんに気に入ってロケ地になったとのこと。この大講堂や常行堂で多くの場面が撮影された。その後、NHK大河ドラマ「武蔵」の決闘シーンの撮影も大講堂前で行われている。

機材の運び入れには大変な苦労がともなうが、それでもここが選ばれたのは、近代以後失われた日本を彷彿とさせるものが残されているからなのであろう。

 

 

さらに知りたい時は…

「書写山円教寺創建期造像の調査研究」(『鹿島美術財団年報』28・別冊)、奥健夫、2010年度版

『円教寺』(『週刊古寺を巡る』24)、小学館、2007年7月

「書写山円教寺と性空のドラマ」(『バンカル』58)、姫路市文化振興財団、2006年冬号

『仏像好風』、紺野敏文、名著出版、2004年

「書写山のすべて」(『バンカル』40)、姫路市文化振興財団、2001年夏号

『月刊 文化財』382、文化庁文化財保護部、1995年7月

「兵庫・円教寺阿弥陀如来坐像」(『仏教芸術』220)、根立研介、1995年5月

『書写山円教寺』(兵庫県立歴史博物館総合調査報告書Ⅲ)、兵庫県立歴史博物館、1986年

「康尚時代の彫刻作例三種」(京都国立博物館『学叢』2)、井上正、1980年

 

 

仏像探訪記/兵庫県