金戒光明寺の千手観音像

  「吉備観音」

住所

京都市左京区黒谷町121

 

 

訪問日 

2009年11月15日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

くろ谷金戒光明寺・金戒光明寺の見どころ

 

 

 

拝観までの道

金戒(こんかい)光明寺は、別名黒谷(くろだに)という。谷といっても低い地形ではなく丘(神楽岡)である。

西側(神宮丸太町駅の方)から行くとそれほどには感じないが、東側の鴨川支流の白川が流れる谷間から見上げれば、かなり高い。

最寄り駅は京阪線の神宮丸太町か地下鉄東西線の蹴上(けあげ)で、いずれも15〜20分くらい。

南側に山門があり、その先の石段を上がった正面が御影堂。その右に阿弥陀堂。また、山門をくぐってすぐ右に進むと、三重塔がある。山門、三重塔、阿弥陀堂は、いずれも江戸時代の建築である。

 

なお、金戒光明寺のすぐ北には真正極楽寺(真如堂)がある。

 

 

拝観料

拝観料の設定は特になかった。

 

 

お寺のいわれ

金戒光明寺を開いたのは、浄土宗の開祖法然である。それまで修行をしていた比叡山の黒谷からこの地へ移り念仏の道場を開いたので、ここを新黒谷と呼び、のちにはただ黒谷と称されるようになった。

 

本堂にあたるお堂は御影堂である。1934年の火災で焼け、その10年後に再建された新しい建物で、中央の御簾の内に法然75歳の御影(坐像)が安置されている。

御影堂内、正面向って右側には平安時代の古様な千手観音像が安置されている。創建以前の像で、かつては吉田寺(江戸時代に廃寺)という寺院にあったものという。

この像は奈良時代後期の学者、政治家である吉備真備(きびのまきび)が行基に依頼して彫り出したものと伝える。遣唐使の帰路、吉備真備が観音の名号を唱えて水難を救われた。そのため、唐より持ち帰った檀木を用いて像としたという伝承で、それによって「吉備観音」とも呼ばれている。

 

 

拝観の環境

お堂の中は明るいが、像の前数メートルのところからの拝観で、やや距離がある。肉眼では細部まで見ることはやや難しい。通常はその位置からの拝観だが、特別公開のような行事の時にはすぐ前まで寄ることができる場合もあるとお寺の人は話していた。

 

 

仏像の印象

像高は約270センチの立像。堂々たる平安時代の千手観音像であるが、残念なことに頭上面、手、足先など後補部分が多い。このお堂に安置されるまでに流転があったことをうかがわせる。前面と背面で異なった材をはぎ合わせて用いているらしい。下半身背面から内ぐりをしているという。

顔はやや大きく、まげを大きく結っていることもあり、頭部はかなり大きくつくっているように見える。目はつりあがり、口はきびしく結んで、なかなかいかめしい表情に見える。上半身も四角ばり、下半身は長く、裙は裾へとわずかに開いていくが、直線的なラインで、全体に霊威を感じる像である。

 

 

その他

御影堂にはほかに文殊菩薩騎象像、四眷属像が安置されている。これらは近くの廃絶した寺院から移され三重塔内にまつられていたが、近年御影堂内に移坐したもの。中世の作で、寺では運慶作と伝える(善財童子像は近年の新補)。こちらも千手観音像と同じく拝観にはやや距離がある。

 

 

さらに知りたい時は…

『京都社寺調査報告』17、京都国立博物館、1996年

 

 

仏像探訪記/京都市