よみうりランドの聖観音像、妙見菩薩像
遊園地でお会いできる仏像
住所
稲城市矢野口4015-1
訪問日
2010年6月20日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
よみうりランドへの交通は、京王線の京王よみうりランド駅、小田急線の読売ランド前駅か新百合ケ丘駅からバス。京王よみうりランド駅前からはよみうりランド直営のゴンドラ「スカイシャトル」で行くこともできる。
原則火曜日がお休み(メンテナンス期間など臨時休業あり。夏休み期間などは無休)。
よみうりランドの北の端に「聖地公園」という不思議な空間がある。遊園地の入口からジェットコースターごしに白いパゴタ(塔)が見えるが、その周辺に塔や仏像を安置するお堂がある。
入口はアシカショーの横手。
当然のことながらほとんどの来園者はアトラクションを楽しむために来ているので、この公園まで足を運ぶ人は少ない。ジェットコースターのコースの脇やゴンドラの下の何となく寂しい小道をどんどん行くと広場に出る。そこから左手の階段を上がって行くと多宝塔がある。もと播磨の無量寿院にあったもので、桃山時代の建築だという。その先にある観音堂に平安時代の聖観音像が、さらに坂を上ったところに妙見堂があり、鎌倉時代の妙見菩薩像が安置されている。
よみうりランド入口から徒歩10分くらい。
曜日によっては開扉しない日もあるようなので、事前によみうりランドに電話で問い合わせて行くのがよい。
2020年、よみうりランドの周辺施設として「HANA・BIYORI」がオープンした。「新感覚のフラワーパーク」として、植物園とカフェに新たな技術を駆使したショーの要素を加えたもののようだ。よみうりランド内にあった旧聖地公園はこの施設内のエリアとして「聖なる森」と名づけられている。入園料は一般1200円。
仏像のいわれなど
よみうりランドは1964年開園。首都圏を代表する遊園地である。東京都稲城市と川崎市にまたがる。
仏像は元読売新聞社の社主・正力松太郎が収集したもの。以前は読売新聞社の社屋に安置されていたそうだ。
聖観音像
聖観音像は像高約140センチの立像。
観音堂の入口はガラスの扉となっていて、さらに堂内奥のガラスケースの中に安置されている。二重のガラス越しになるので、残念だがよく拝観するのは難しい。しかしがまんして覗いていると、たいへんすばらしい仏像であることがわかる。
顔、上半身は存在感に富む。まげは高くはないが、三段に大きく結う。髪の生え際はきれいで、目は細い。口は小さく、顎をしっかりとつくる。
左右から垂れた髪は肩にかかって広がる。条帛の幅は狭い。
腰はしっかりと絞られ、それを強くひねって立つ姿は美しく、また裙の折り返しや天衣がからむ様子はすばらしい。
下半身はやや短い。翻波式の衣の襞が見える。
平安前期の作。山城・柳谷の楊谷寺旧蔵と伝え、小泉策太郎(三申)、正力松太郎の所蔵を経て、よみうりランドに安置された。「よみうりランド観音」と通称されることがある。
妙見菩薩像
妙見菩薩像は、聖地公園のシンボル的存在である白く大きなパゴタ(釈迦如来殿)の隣にある八角形の妙見堂内に安置されている。像高約155センチ、寄木造、玉眼。
妙見菩薩は北極星を神格化したもので、中国起源すなわち道教信仰から生まれた尊格である。これが仏教に取り入れられて、菩薩号を与えられた。
落語を聞いていると、「妙見さまに願をかける」というフレーズがよくあらわれ、江戸時代にはずいぶん信仰されたのだと思うが、今はあまり聞かないし、お寺をまわっても出会うことが少ない。さまざまな信仰が重なりあって成立した尊像ゆえに、神仏分離の際に寺を追われることがあったのではないかと思われる。
このよみうりランドの像ももと伊勢神宮宮司の度会氏ゆかりの常明寺妙見堂にまつられていたが、近代初期の神仏分離、廃仏によって廃寺となり、度会氏の一族の中西家を経て、正力松太郎の所有になった。
多種多様な要素が入りまじって発展した妙見像は、像容もさまざまで、2臂のほかに4臂の像、忿怒形、菩薩形、童形、武装神像形などがある。このよみうりランドの像は、童形で聖徳太子像のように髪をみずらに結い、鎧をつける。類例を見ない姿である。
右手は正面で剣(後補)を構え、左手は指を2本立てる。左足を少し前に出して、安定した姿勢で立つ。
像はお堂中央の格子の中に安置されている。防犯対策と思うが、残念ながらよく拝観することは難しい。お堂の脇に詰め所があり、係の方からお話を聞いたところ、将来は格子からガラスに替えたいということであった。
銘文について
妙見菩薩像の像内には銘文があり、鎌倉時代後期の1301年、権僧正法印建海が発願し、仏師法印院命が造立したことがわかる。ほかに梵字が書かれているが、これが妙見をさす字という。
仏師院命については、名前から院派仏師であろうと推測される以外に手がかりはない。
発願者である建海という名前の僧についても他史料には登場しないが、この「建」は「通」という文字である可能性がある。当時真言宗醍醐寺派の権僧正に通海という僧がおり、伊勢国度会郡でも活動をしていたことが知られている。この妙見菩薩像が真言僧通海による造像であるとすれば、まさしくこの像は伊勢神道、真言密教、道教といったさまざまな宗教の交点に位置する像であるといえる。
その他
妙見堂では毎月下旬に月並み祭が行われ、特に5月と10月は大祭で賑わうそうだ(いずれも11時より。大祭は土曜か日曜日だが、それ以外の月は平日)。
さらに知りたい時は…
『武将が縋った神仏たち』(展覧会図録)、滋賀県立安土城考古博物館、2011年
『救いのほとけ』(展覧会図録)、町田市立国際版画美術館、2010年
『道教の美術』(展覧会図録)、大阪市立美術館ほか、2009年
『中世の童子形』(『日本の美術』442)、津田徹英、至文堂、2003年3月
『妙見菩薩と星曼荼羅』(『日本の美術』377)、林温、至文堂、1997年10月
『中世の世界に誘う仏像 院派仏師の系譜と造像』(展覧会図録)、横浜市歴史博物館、1995年