HANA・BIYORI の聖観音像、妙見菩薩像
園内の「聖なる森」のエリアに安置されている

住所
稲城市矢野口4015-1
訪問日
2010年6月20日、 2025年5月27日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
京王相模原線の京王よみうりランド駅下車、徒歩約10分。
駅前から無料シャトルバスが出ている。歩いてもそう遠くはないが、上り坂(または階段)が続く道なので、シャトルバスを使うのがおすすめである。
休園日もあるので、確認してから行くとよい。
妙見堂の拝観は10〜16時。
入園料
一般800円
園と仏像のいわれなど
ここで紹介する仏像は、元読売新聞社の社主・正力松太郎が収集したもの。かつては読売新聞社の社屋に安置されていたそうだ。
よみうりランドは1964年開園。以来、首都圏を代表する遊園地として営業している。
その北側の一部に「聖地公園」が設けられ、さまざまなお堂が新築、移築されて、読売新聞社にあった仏像も移されてきた。
当然のことながらほとんどの来園者はアトラクションを楽しむために来ているので、この公園まで足を運ぶ人は少なく、仏像の存在も広くは知られていなかったと思われる。
2020年、よみうりランドの周辺施設として新感覚フラワーパーク「HANA・BIYORI」がオープンすると、聖地公園はこの施設内のエリアとなり、「聖なる森」と改名された。
仏像のまつり方は以前と同様であるが、照明やガラスが改善されて、見やすくなった。
聖観音像
聖観音像は像高約140センチの立像。一木造。平安時代前期〜中期の作である。
山城・柳谷の楊谷寺旧蔵と伝え、渋谷にあった観音禅寺を経て、ここに安置されたという。戦前の政治家、小泉策太郎(三申)が所蔵していたこともあったらしい。
観音堂の扉口からの拝観。奥に設置されたガラス越しとなるため、顔はわかるが、体部は映り込みのためにやや見にくい。
ややクセのある顔だち、まげの形で、材の年輪があらわになっていることでさらにクセの強い容貌に見え、筆者はこの像の姿を何となく苦手というか、親しみを持てずにいた。しかし、2025年に再訪し、改めてじっくり拝観したところ、個性的で素晴らしい像に見えてきた。
顔はどちらかといえば四角張っている。額はやや狭く、両目は接近するが鼻口は離れている。口は小さめで、口もとにはひかえめにたたえらえているようである。
高くはないまげは、大きく三段分けて結い上げ、印象的である。
左右から垂れた髪は肩にかかって広がる。条帛の幅は狭い。
胴はしっかりと絞られ、腰を左側に強くひねって立つ。
お腹の下に垂れているのは、腰布だろうか。あるいは腰から下がる天衣であるようにも思える。肩から下がる天衣は一筋、ひねりを大胆に加えながら下半身を横切る。
下半身はやや短いが、足首に向けて細くなっていくさまがまたいい。大きいひだの間に小さなひだをはさむ翻波式衣文が見られる。
妙見菩薩像
妙見菩薩像は、聖地公園のシンボル的存在である白く大きなパゴタ(釈迦如来殿)の隣にある八角形の妙見堂内に安置されている。像高約155センチ、寄木造、玉眼。扉口からの拝観で、像の前にはガラスがはめられ、頭部はよく見えるが、体部は映り込みのためにやや見にくい。
妙見菩薩は北極星を神格化したもので、中国起源すなわち道教信仰から生まれた尊格である。これが仏教に取り入れられて、菩薩号を与えられた。
落語を聞いていると、「妙見さまに願をかける」というフレーズがよくあらわれ、江戸時代にはずいぶん信仰されたのだと思うが、今はあまり聞かないし、お寺をまわっても出会うことが少ない。さまざまな信仰が重なりあって成立した尊像ゆえに、神仏分離の際に寺を追われることもあったのだろうか。
このよみうりランドの像ももと伊勢神宮宮司の度会氏ゆかりの常明寺妙見堂にまつられていたが、近代初期の神仏分離、廃仏によって廃寺となり、度会氏の一族の中西家を経て、正力松太郎の所有になった。
多種多様な要素が入りまじって発展した妙見像は、像容もさまざまで、2臂のほかに4臂の像、忿怒形、菩薩形、童形、武装神像形などがある。このよみうりランドの像は、童形で聖徳太子像のように髪をみずらに結い、鎧をつける。妙見菩薩像の他例に童形の像、同じようなポーズの像はあるが、童形でかつ同じ姿の像というのは他にはないようである。
右手は正面で剣(後補)を構え、左手は指を2本立てる。左足を少し前に出して、安定した姿勢で立つ。
銘文について
妙見菩薩像の像内(体部、正面側)に銘文があり、妙見菩薩の種字、真言が梵字で書かれたあとに、鎌倉時代後期の1301年をさす年、願主として権僧正法印の建(?)海、仏師として法印院命の名が書かれている。この仏師院命については、名前から院派仏師であろうと推測される以外に手がかりはない。
発願者である建海という名前の僧についても他史料には登場しないが、この「建」は「通」という文字である可能性がある。当時真言宗醍醐寺派の権僧正に通海という僧がおり、伊勢国度会郡でも活動をしていたことが知られている。本像が真言僧通海による造像であるとすれば、まさしくこの像は伊勢神道、真言密教、道教といったさまざまな宗教の交わるところに位置する像であるといえる。
さらに知りたい時は…
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』17、中央公論美術出版、2025年
『武将が縋った神仏たち』(展覧会図録)、滋賀県立安土城考古博物館、2011年
『救いのほとけ』(展覧会図録)、町田市立国際版画美術館、2010年
『道教の美術』(展覧会図録)、大阪市立美術館ほか、2009年
『中世の童子形』(『日本の美術』442)、津田徹英、至文堂、2003年3月
『妙見菩薩と星曼荼羅』(『日本の美術』377)、林温、至文堂、1997年10月
『中世の世界に誘う仏像 院派仏師の系譜と造像』(展覧会図録)、横浜市歴史博物館、1995年
