乗願寺・楊谷寺の仏像

  信仰厚き西山の仏たち

乗願寺本尊
乗願寺本尊

住所

長岡京市浄土谷宮ノ谷4(乗願寺)

長岡京市浄土谷2(楊谷寺)

 

 

訪問日

2009年7月18日

 

 

 

乗願寺までの道

最寄り駅は比較的最近開業した東海道線の島本駅。そのほぼ真北、浄土谷とよばれる山あいに乗願寺(じょうがんじ)はある。上り坂が続く5キロくらいの道のりであるが、駅前にタクシー乗り場からタクシーを使えば10分とかからない(1500円弱)。

 

ほかの行き方としては、JR長岡京駅または阪急長岡天神駅からのバスで「奥海印寺」で下車し、西南に2キロ強。こちらもかなりの上り坂だが、竹林の中の道である。気候がよければハイキングにもよい。 

 

阪急バス

 

 

乗願寺の拝観

このあたりは京都の西にあるので西山という。

寺伝によれば、比叡山の恵信僧都源信が弥陀の影向を拝してその姿を刻み草庵にまつったのが乗願寺のはじめという。栄える比叡山を避けて静かな地で修行や隠遁を願う僧が開いた地であったのがこうした寺伝を生んでいったのかなどと想像される。

 

拝観は日中随時可能。特に拝観料は設定されていない。

堂内は明るく、また仏像のそばに寄ってたいへんよく拝観できる。

 

 

乗願寺の仏像

小さなお堂の中央に阿弥陀如来像が安置されている。像高約280センチの坐像。堂々たる丈六仏であり、浄土谷の大仏(おおぼとけ)と呼ばれる。定印。

温厚な丸顔、半球形に近い大きな肉髻をもち、上半身は高く表され衣の線は流麗であり、手はあまりすらりとは伸びない感じで、平安時代後・末期の典型的な定朝様の仏像である。内部の木寄せはやや複雑で、平安時代も末期の作であることを示す。

膝の衣の線は硬く、膝部は後補であるらしい。

このお寺はお檀家が少なく、かつてはかなりの荒れ寺であったようで、仏像も相当な傷みが進み、近年の修理によって面目を一新したとのこと。

 

ところで、この仏像の前には、「正しい拝観の仕方」が書かれた紙が置いてある。それによると、仏のまわりを回ること、膝に触ることとある。触るなという注意はよく見るが、触れというのは珍しい。さらに回り方、触り方にも決まりがあって、これまで幸福だった人はどっちまわり、そうでなかった人はその逆、また、男はどっちの膝、女はどっちの膝と決まっている。気をつけなければいけないのは、右、左というのは仏の側からの指示で、向ってだとその逆になる。

回ってゆくと、仏像の背後の壁、仏の腰のあたりに小窓がある。この仏像には胎内仏として、この寺に北西にある楊谷寺(ようこくじ)の観音さまの分身の仏像が納められているということで、かつては大仏の背に厨子の扉のようなものがついていて、そこを開けて拝むことができたという。面白い仕掛けと思うが、残念ながら修理の際に仏像の傷みの原因になりかねないという理由で閉じられてしまったとのこと。仏像の背後の小窓はその名残りとのことである。

 

 

乗願寺から楊谷寺へ

すでに述べたように、乗願寺の阿弥陀如来像の像内には楊谷寺の観音像の分身が納められているという。その楊谷寺は乗願寺の北西、徒歩で20分ほどのところにある。別名柳谷(やなぎだに)観音という。

寺伝によれば平安初期、清水寺の延鎮が夢告によってこの地を訪れ、柳の生い茂る巌上に生身の観音を拝んでこの寺を開いたといい、空海もここを訪れて、眼病によく効く湧き水を発見したという。この霊水は現在も湧き、またこの寺の観音は眼病に霊験あらたかといわれて信仰を集めている。

 

 

楊谷寺の仏像

本尊は秘仏で、毎月17日と18日を縁日として開扉している。17日は阪急大山崎駅前から直通のバスが出るそうだ。筆者が訪れたのは直通バスのない18日の方で、静かなご開帳であった。

本尊は像高約170センチの千手観音立像で、本堂中央の厨子中に安置され、前にはガラスが入り、さらに帳も垂れて脇手も隠されてしまって、あまりよく拝観はできない。ヒノキの寄木造。平安後・末期の像だが、優美さよりもがっしりした胴が魅力的な像である。特に拝観料の設定はなかった。

 

柳谷観音ホームページ

 

楊谷寺から北東へ、府道79号線(柳谷通り)を下ってゆくと、上述の「奥海印寺」バス停まで30分くらいである。

 

 

さらに知りたい時は…

『長岡京市の寺社(長岡京市史資料集成2)』、長岡京市教育委員会、2000年

『長岡京市史 建築・美術編』、 長岡京市史編さん委員会、1994年

『京都の文化財』第10集、京都府教育委員会、1992年

『京都の文化財』第4集、京都府教育委員会、1986年

 

 

仏像探訪記/京都府