安楽寺(船橋)の諸仏
半丈六の阿弥陀如来像、釈迦如来像と珍しい兜跋毘沙門天像
住所
稲沢市船橋町32
訪問日
2019年2月24日
この仏像の姿は(外部リンク)
稲沢市の国指定文化財(木造阿弥陀如来坐像、木造釈迦如来坐像)
稲沢市の県指定文化財(木造兜跋毘沙門天立像)
拝観までの道
名鉄名古屋本線の国府宮駅から名鉄バス稲沢中央線(矢合観音行き)に乗車し、「船橋」下車、西へ徒歩約5分。
拝観は事前連絡必要。
なお、稲沢市には国指定文化財を有する安楽寺が2か寺あり、それぞれの地名で区別すると、こちらは船橋の安楽寺。もう一方の奥田の安楽寺と間違えないように。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
尾張国分寺を中心に4方向に「楽」の字をつけたお寺をつくり、「四楽寺」と総称されたといい、安楽寺はその1つ。国分寺の北方に設けられた寺院と伝える。また、かつては天台宗で、観音寺と称していたともいう。
南北朝時代になり、現在の一宮市にある妙興寺の開山、円光大照禅師を招いて中興し、以来臨済宗となった。
拝観の環境
本堂は収蔵庫を兼ねた耐火建築のお堂である。
かつては指定文化財はあくまで本堂とは別にひたすら保存のための収蔵庫をつくって安置せよということであったが、近年は方針が変わって、本堂の機能を持つお堂を耐火でつくり、安置することが認められるようになってきた。そのごく初期のものとしてつくられたのがこのお堂であるそうで、ご住職の話では、文化庁とのすりあわせは大変な作業だったとのこと。
中央に本尊厨子がまつられ、左右に阿弥陀如来像と釈迦如来像。また、本尊厨子の斜め前に珍しい兜跋毘沙門天像が安置される。
堂内でよく拝観させていただけた。
仏像の印象
本尊の厨子に向かって右の脇壇に安置されている阿弥陀如来像は、像高約140センチ。寄木造(または割矧ぎ造)。平安時代後期の作。
螺髪の粒は細かく、ていねいなつくりである。丸顔で、眉はあまり高くあげず、目、鼻は若干大きめ。口、あごは小さめにつくっているが、全体的によく整った顔立ちと思う。
来迎印を結び、上半身は大きく、脚部はよく張って、安定感がある。足の組み方は右足が上。衣のひだはおとなしめだが、比較的しっかりと刻まれている。
この像は像内の胸部や背面に梵字が墨書されているという。胸の5文字の梵字は大日如来を意味する真言だそうだ。
左側の脇壇には釈迦如来像が安置されている。像高は約140センチの坐像。ヒノキと思われる針葉樹材の寄木造である。施無畏与願印で、足の組み方は左足を上。
一見した印象としては阿弥陀如来像に近い感じであるが、よく見ると細部は異なる。
螺髪は細かい粒で美しく整えられているが、粒どうしの間に隙間がある。顔は丸顔だが、やや面長につくれている。顎を少し大きめにしていることから、そうした印象になるのだろう。上半身は大きく、衣のひだは省略的につくられている。総体に阿弥陀如来像よりもやや大味な印象で、平安時代も末期の作と思われる。
この2像は本来この寺の像ではなく、大水の際に上流から流れ着いたといった伝承があるらしい。
兜跋毘沙門天像は像高約85センチ。地天女の上に立ち、合わせるとおよそ1メートルの高さがある。頭頂のまげから地天女まで一材から彫り出す内ぐりのない一木造で、たいへん古様なつくりといえる。材はヒノキかと思われる針葉樹材。平安中期頃の作。
右手を上げて戟を持ち、左手は肩のあたりで宝塔を掲げている。
東寺の兜跋毘沙門天像のような異国的な風貌、鎧ではなく、姿は一般的な毘沙門天像と同じ。
飛び出さんばかりの目とまゆを思い切りつり上げ、口はへの字にして、強い怒りを表現している。古風な冠をつけ、鎧のつくりを丁寧に、腰はあまりひねらず、足をつっぱるようにして、女神のてのひらに乗る。女神はたっぷりとして髪で、穏やかな表情ですっと毘沙門天を支える。両者の顔つきはまさに対照の妙である。
その他1
本尊の十一面観音像(平安時代後期)は本堂中央の華やかな厨子中に秘され、次回開帳はまだ先とのことである。
その他2
阿弥陀如来像の像内、大日如来の真言は、新城市・林光寺の薬師如来像(1171年)の像内にも書かれている。また、同じ稲沢市にある無量光院の阿弥陀三尊像(鎌倉時代初期)の像内にも梵字が書かれている。
無量光院の阿弥陀三尊像の像内には梵字のほかに願主、仏師名、造像年が書かれていてきわめて重要な作例であるが、稲沢市教育委員会のお話では個人の拝観は不可とのこと。
さらに知りたい時は…
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『新修稲沢市史 研究編2 美術工芸』、新修稲沢市史編纂会事務局、1979年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』5、中央公論美術出版、1970年