林光寺の薬師如来像

  平安時代後期の貴重な基準作

住所

新城市庭野大脇

 

 

訪問日

2010年3月21日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

愛知エースネット・林光寺の木造薬師如来坐像

 

 

 

拝観までの道

林光寺はJR飯田線の新城(しんしろ)駅下車、東南に徒歩45〜50分。駅にはタクシーが常駐していて、1,500円くらいの料金で着く。

収蔵庫安置の平安時代の半丈六薬師如来像は、4月の第1日曜日に地域のお祭りがあって開扉されるそうだが、他の日でも新城市の教育委員会の文化課の方に事前に連絡を取ってお願いすると開扉していただける。できれば平日の方が都合がよいとのこと。

 

 

拝観料

特に拝観料の設定はない。

 

 

お寺のいわれ

薬師堂と収蔵庫があるばかりで、現在は林光寺というお寺に所属しているということだが、かつてこの地域に栄えた大脇寺の薬師堂であったことが、お堂に伝わる近世の棟札からわかる。しかし、大脇寺について記録が乏しく、由来等わからない。

その薬師堂も老朽化が進み、仏像は隣に建てられた収蔵庫に移されている。

 

 

拝観の環境

収蔵庫の中で、間近に拝観させていただける。

 

 

仏像の印象

薬師如来像は、像高約130センチの坐像。 材はアスナロという。割矧(わりは)ぎ造。

 顔、上半身が大きく堂々としていて、いかにも頼りがいありそうな仏像。膝も左右への張り出しが十分で、安定感がある。円満な相好の中に、きりりと張りがある。威厳のある仏さまである。

肉髻は大きく、螺髪の粒は小さい。その1番下の段はわずかにカーブし、額や耳にかぶさってくるようなイメージで彫り出されており、髪際がくっきりとして見える。額は大きくとる。首は短い。

 

頭と体の内側にそれぞれ銘文がある。後頭部に書かれた文章は長文で、1171年の年、仏師名として頼与、勧進僧として良覚以下、大勢の結縁者の名が書かれ、当時のネットワークを読み解く重要な史料となっている。そのうち散位伴親兼はこの地域の在地領主として他の史料にも登場する武士である可能性がある。また、背中の方の銘文には僧永意の名が読み取れるが、この人物は普門寺の僧で、本像造立に普門寺がかかわっていたことが知られる。

さらに薬師如来を示す梵字1文字と大日如来を示す梵字5文字が書かれる。県内稲沢市安楽寺(船橋)の阿弥陀如来像の像内にも同じ大日如来真言が書かれており、興味深い。

 

 

さらに知りたい時は…

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『鎌倉時代の彫刻』(展覧会図録)、東京国立博物館、1976年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇』4、中央公論美術出版、1967年

 

 

仏像探訪記/愛知県