竹林寺の宝物館の諸仏

平安仏、鎌倉仏勢揃い

住所
高知市五台山3577


訪問日 
2023年4月15日


この仏像の姿は(外部リンク)
高知市文化財情報・国指定文化財



拝観までの道
竹林寺の門前を通る路線バスはないが、高知駅前から桂浜まで1時間に1本程度運行し、1日乗降できるMY遊(ゆう)バスで行くことができる。


拝観料
400円


お寺や仏像のいわれなど
高知駅の南方には浦戸湾という湾が入り込み、竹林寺はその東側の五台山にある。海抜は130メートル余りで、しかし小山か丘のようなものではなく、大きさ、上り坂の長さはなかなかのものである。竹林寺のほかに県立の公園や牧野植物園や記念展示館などもある。

竹林寺は奈良時代、行基による開創が伝えられ、2023年には1300年を祝う行事が行われた。
真言宗寺院で、四国霊場の31番札所である。
宝物館は、本堂へ向かう入口の仁王門(江戸時代の勇壮な仁王像が安置されている)の手前にある。

 


拝観の環境
それほどの広さはないが、10体余りの仏像が壇の上に安置され、調整されたライトのもとでよく拝観できる。平安時代、鎌倉時代の仏像で、あまり大きな像はないが、地方的なユニークな像もあり、中央の様式を踏襲した像もあって、古代から中世にかけてのこのお寺の豊かな信仰が感じられる。


仏像の印象
宝物館中央でこの館の中尊のように座っている阿弥陀如来像は、像高90センチ弱の坐像。ヒノキの寄木造で、定朝様を踏襲した整った像である。やや硬さもみられるため、鎌倉時代に入っての作とされる。

その向かって右側には平安時代の地方的な仏像が多く並ぶ。一番右側(宝物館に入ってすぐのところ)に安置されている十一面観音像だけは、ケース中に置かれている。像高50センチくらいの立像で、カヤの一木造。顔立ちは素朴で、あごは小さめ、怒り肩や膝を曲げた右足の具合など不自然にも見え、それがまた魅力でもある。

薬師如来像と伝わる像はおよそ1メートルの坐像で、材はサクラという。破損が激しく、伝えられるところでは、近代の廃仏の際に池に投げ込まれたためとのこと。茫洋とした表情、胸や左右によく張る脚部など、スケールの大きさが感じられる魅力的な像である。

立像の阿弥陀如来像は像高約1メートル。来迎印を結んでいる。おだやかな顔つき、なで肩で、下半身の衣のひだは股間から両足の間を流れ、左右の腿から下はひだをきざまない。

定朝様を受け継ぐが、地方的な素朴さがある。

二天王像は増長天、多聞天と伝わる。像高90センチほど、クスノキの一木造。ほぼ左右相称の形で、安定感がある。大ぶりな兜をつけ、鎧や衣は素朴につくる。

そのほかに、鎌倉期の大日如来像、愛染明王像、大威徳明王像の密教像や、プロポーションのよい千手観音像、勢至菩薩像など、いつまで見ていても見飽きない。


その他(本尊の文殊菩薩像について)
竹林寺の本尊は平安時代につくられた文殊菩薩像で、秘仏。獅子に乗り、4人の従者を従えた、中国の五台山を文殊の浄土、清涼山と考える信仰と密接に結びついた五台山文殊の姿である。
文殊菩薩像には、さらに別の獅子一頭が付属している。乗り替え用ということになろうか。江戸時代中期に江戸出開帳が行われたことがあったといい、その際になんらかの事情によって獅子が新造されたものらしい。
かつて本尊とともに本堂厨子中にあったのはこの江戸時代の獅子の方で、平安時代の獅子と4眷属像は宝物館に安置されていたが、2014年に本尊の開帳が行われた際に変更され、現在は平安時代の獅子と4眷属は厨子中に移り、江戸時代の獅子が宝物館に安置されている。


さらに知りたい時は…
『竹林寺の仏像』、前田和男、五台山竹林寺、2003年
『四国の仏像』(『日本の美術』226)、田辺三郎助編、至文堂、1985年3月


仏像探訪記/高知県

宝物館
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