信濃国分寺資料館の三尊仏
上田市の法楽寺遺跡出土

住所
上田市国分1125
訪問日
2025年7月29日
館までの道
上田市立信濃国分寺資料館は上田駅からしなの鉄道で軽井沢方面に1駅、信濃国分寺駅下車、上田駅方面(北西方向)に徒歩5分。または上田駅前から千曲バス鹿教湯線に乗車し、「八日堂」下車。
原則水曜日が休み。
*上田市立信濃国分寺資料館
入館料
一般250円
館や仏像のいわれなど
上田駅からの電車が信濃国分寺駅に着く直前、左右の車窓から見えるのが信濃国分寺跡の史跡公園である。奈良時代中期の国分寺建立の詔によって建設された国分寺と国分尼寺が隣り合うようにつくられていた遺跡で、1960年代から70年代にかけて発掘調査が行われた。国指定史跡となり、埋め戻して土を盛って堂塔の跡が示されている。
史跡公園の北側に上田市立信濃国分寺資料館がある。開館は1980年。
なお、信濃国分寺の名を継ぐ天台宗信濃国分寺が遺跡公園の北150メートルほどのところにある。本尊は薬師如来で、毎月8日に縁日が開かれて賑わい、「八日堂」とも呼ばれて、バス停名にもなっている。
信濃国分寺資料館の展示の中心はもちろん信濃国分寺遺跡の関係資料であるが、それ以外の市内の遺跡の出土品なども展示されている。
ここで紹介するのは、信濃国分寺関係の遺物に引き続いて展示されている銅三尊仏(金銅三尊仏、阿弥陀三尊像)で、上田駅から北西、上田城址にほど近い法楽寺遺跡(縄文時代から中世にかけての遺跡)から1997年に見つかったものである。
鑑賞の環境
ケース内に展示され、よく見ることができる。
仏像の印象
総高でも7センチ弱、各像の像高はわずか4センチという大変小さなものである。右足を上にしてその上で定印を結ぶ中尊、その台座下から左右に蓮の茎が伸びて、立った姿の脇侍像を支える。
長く土中にあったために残念ながら細部は判然としない。
中尊は頭上に出っ張りをつけており、これを宝冠と見て、宝冠阿弥陀像と推定されている。向かって右の像は条帛、天衣らしきものを着けており、菩薩形のようで、向かって左の像は天衣はなく、左右の肩に衣を着けているようにも見えることから地蔵菩薩像とも見える(展示の説明には、脇侍は観音、勢至菩薩と書かれているが、「ハッケン! 上田の仏像」展の図録では、観音、地蔵菩薩像となっている)。
観音、地蔵を脇侍とする阿弥陀三尊像は例があるが、宝冠阿弥陀を中尊とするこの三尊というのは他にはなく、大変に面白い組み合わせということになる。
3像ともプロポーション、姿勢がよく、均整がとれており、もともとは優れた出来栄えのものであったろうと感じる。個人の念持仏だったものであろうか。
11~12世紀ごろの作と推定されている。
その他
三尊仏の右隣に、金銅製の十一面観音坐像の懸仏(御正体)が置かれている。市内の三島神社からの寄託で、12世紀ごろのもの。高いまげから浮き出してくるようにつくられた頭上面はやや異様にも見え、その一方で翻る天衣は優美である。
銅板を裏から叩いて整形し、鏡板に貼り付けたもので、この形の懸仏は珍しい。鏡に像を線刻した鏡像から、高浮き彫りにした像を取り付けた懸仏に移行していく過渡期の様相を示すものとして貴重である。
さらに知りたい時は…
『ハッケン! 上田の仏像』(展覧会図録)、上田市の仏教美術展実行委員会、2025年
『法楽寺遺跡』(『上田市文化財調査報告書』第95集)、上田市教育委員会、2004年
→ 仏像探訪記/長野県
