菊蓮寺の千手観音像、不動明王・毘沙門天像

かつて金砂山にまつられていた像

住所
常陸太田市上宮河内町3600


訪問日 
2025年6月14日


この仏像の姿は(外部リンク)
菊蓮寺ホームページ・寺宝



拝観までの道
最寄駅は水郡線の山方宿(やまがたじゅく)駅だが、数キロ離れている。駅構内にある山方ハイヤーのタクシーに乗ると約10分、2500円弱で着く。
お寺の東、すぐのところに茨城交通のバス停「上宮(かみみや)高橋」があるが、ここを通るバス便はとても少ない。調べると、土日のみ、14時台にここから常陸太田駅に行くバスがあることがわかり、行きは山方宿駅からタクシー、帰りはこのバスでと計画し訪問した。
拝観は事前連絡必要。
なお、例年10月に常陸太田市で行っている「集中曝涼」でも公開されている。


拝観料
志納


お寺や仏像のいわれなど
もと天台宗寺院で、9世紀はじめの創建という。15世紀からは浄土宗となる。本尊は来迎の阿弥陀三尊像である。
本堂の手前右側の観音堂(収蔵庫)には千手観音像をはじめとする古仏が安置されている。これらはもとは金砂山(かなさやま)のお堂にまつられていたものと伝える。

金砂山(西金砂山、標高400メートル余り)は菊蓮寺から東北ヘ4~5キロのところにあり、険しい崖の上に西金砂神社が建つ。かつては神仏習合の場で、西金砂権現をまつり、その本地仏として千手観音像が大御堂というお堂に安置されていたという。
1180年、富士川の戦いに勝利した源頼朝はその勢いのまま西上すると思われたが、一転して関東に残る反頼朝勢力であった常陸の佐竹氏との決戦にのぞんだ。佐竹氏は要害の地であったここ西金砂山に立てこもる。ところが、地形を知悉した一族の者が頼朝方についたために落城。これが金砂城の戦いである。この時西金砂山にまつられていた千手観音像は戦いに巻き込まれては焼けてしまったという。
現在菊蓮寺観音堂中央に安置されている千手観音像は金砂城の戦いののちに再興された像であり、その斜め後ろに置かれている焼損像(焼け残った体幹部背面部分が布に巻かれて置かれている。現状で3メートルほどの高さがある)は、戦いで焼かれたいにしえの千手観音像であるとお寺では伝えている。


拝観の環境
堂内にてよく拝観させていただけた。


仏像の印象
千手観音像は像高約360センチの立像。カヤを用いた寄木造。素地をあらわしている。
見上げるほどの大きさで、雄大さを感じさせる像である。

落ち着いた顔だちで、丸顔だが、額を比較的広くし、高い天冠台をのせ、その上に頭上面が行儀よく等間隔に置かれており、全体としては面長にも見える。
なで肩。胸は薄く、腹はやや出ているがそれほど強調されてはいない。条帛のつくりや下半身の衣は素朴である。
正面で合掌する手の肘から太い脇手が扇状に付けられているさまは、迫力がある。

本像にはもと像内に込められていたという木札が付属している。レプリカが像の前に置かれていて、見ることができる。一部読めないところもあり、和歌が書かれていたり、貴人の往生を願う(あるいは来迎が叶ったことをあらわす?)文言があるが、表記された人物が誰か、どのようなつながりでここに記されたのかなど、不明なことが多い。その中に1244年を指す年があり、これが千手観音像の造立年と推定されている。

千手観音像の左右に脇侍のように安置されている不動明王、毘沙門天像は、像高約165センチの立像。カヤの一木造で、背中からクリをほどこす。不動明王像の顔は大きく、毘沙門天像は小顔であるなどの違いもあるが、像高が揃い、全体の雰囲気が近いので、もとからの一具と思われる。

寄木造の千手観音像に対して一木造でつくられていることから、焼かれてしまったかつての中尊に付き従う像として平安時代後、末期につくられたと考えるのが自然であるとも思えるが、あるいは構造は古様ながら、鎌倉時代前期に現在の像の脇侍としてつくられたものであるのかもしれない。なかなか難しい。
両像とも肘を張り、足を少し開き、少しだけ腰を捻りながら正面を力強く見据えている。衣の彫りは比較的浅い。不動明王像は細い腰布をつけているのが面白い。地方的な素朴さを持ち、体の動きも小さいものの、力のこもった魅力的な像である。


その他
江戸時代前期に作られた『新編常陸国誌』の中に、西金砂権現の大御堂の安置仏として本尊千手観音像、毘沙門天、不動明王、二十八部衆の名前が書かれている。観音堂内の毘沙門天像の後ろに安置された伝女神像は、千手観音像眷属の二十八部衆像の1体であった可能性がある。
このほか菊蓮寺には、賓頭廬(びんづる)尊者(なで仏)と伝える2体の破損仏が安置されている(本堂脇の間に安置)。


さらに知りたい時は…
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』6、中央公論美術出版、2008年
『茨城彫刻史研究』、後藤道雄、中央公論美術出版、2002年
『金砂郷村史』、金砂郷村史編さん委員会、1989年


仏像探訪記/茨城県