正法寺の仁王像
品のある近世の仁王さま
住所
太田市脇屋町甲562
訪問日
2026年4月18日
この仏像の姿は(外部リンク)
太田市・正法寺の仁王門並びに仁王尊
拝観までの道
正法寺(しょうぼうじ)は東武桐生線三枚橋駅下車、西へ徒歩約30分。
または、太田駅北口より太田市のコミュニティバスであるシティライナーおおた新田線に乗車し、「脇屋入口」下車。ただしこのバスは平日のみの運行。
拝観料
仁王像は拝観自由。
お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院。平安時代に醍醐寺を開いた聖宝(しょうぼう)の開山であるため、かつては聖宝寺ともいったという。
新田義貞の弟で、兄と共に鎌倉幕府を倒し、その後は南朝方として転戦した脇屋義助ゆかりの寺と伝える。
本尊は聖観音像(秘仏)。
仁王門は江戸時代前期につくられ、後期に改築された。
門内に安置される仁王像は江戸時代前期の作。
拝観の環境
金網越しの拝観。
仏像の印象
像高は約260センチ。向かって右が口を開く阿形像、左が閉口する吽形像である。
バランスがよく、誇張に走ることがなく、上品さが感じられる。体勢も安定し、裙のひだも自然にすっきりとつくられている。ひるがえる裙の裾はあまり長くしない。
厚くした胸板や、お腹にボコボコと盛り上がるコブの列の様子は、少々不自然な感じがあり、阿形像の左の腰、吽形像の右の腰の裙のひだは形式的になっている。しかし、全体的にはすっきりと端正な姿にまとめられた優れた仁王像である。
1988年に解体修理され、像内(顔の裏側)から銘文が見つかった。それによるとつくられたのは1685年、作者は運慶の流れを汲む七条仏師の法眼康祐とわかった。
近世仏師と祖ともいわれる康正、その子康猶(彼らは東寺金堂諸像を造立)のあと、七条仏師は康音、康知、康乗、康祐と続く。康祐は17世紀後半に京都、九州、江戸、日光など幅広く活躍し、幕府、朝廷関係の造像活動を行い、また黄檗宗の造像も手がけた。正法寺の仁王像はその晩年の作である。
その他
本尊の聖観音像(平安時代末から鎌倉時代初期の作)は本堂裏につくられた耐火式のお堂に安置され、12年に1度、午年の春に開帳される。2026年4月18日がその日で、お堂の扉口からの拝観することができた。
さらに知りたい時は…
『太田市の文化財』、太田市教育委員会、2016年
「仏師康祐の研究」(『印度哲学仏教学』3)、江口正尊、1988年
→ 仏像探訪記/群馬県
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