水神社の線刻千手観音等鏡像

  毎年8月17日に公開

住所

大仙市豊川字観音堂57

 

 

訪問日 

2014年8月17日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

大仙市・国宝「線刻千手観音等鏡像」

 

 

 

拝観までの道

水神社(すいじんじゃ)は、角館営業所と六郷高校を結ぶ羽後交通バスで「観音堂」下車。ただしバスの本数は少ない。

角館駅駅前に2軒、レンタサイクルを扱っているお店がある。駅の南で秋田新幹線(田沢湖線)の線路を越え、国道105号から県道11号(羽州街道)へ入る。アップダウンは少なく、30分くらいで着く。

 

水神社の鏡像は、8月17日の大祭の日の午後に公開されている。13時からお祭りがはじまり、14時から15時くらいの間で鏡の公開が行われる。

筆者が到着したときには、すでに拝観を求める方々が列をつくっていた。14時を15分くらい過ぎたころ、お祭りが終了し、鏡の公開がはじまった。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれなど

水神社は比較的新しい神社である。

17世紀後半、古鏡が水路の開削中に出土し、藩より「堰神」として祭るようにと指示されたのがそのはじまりである。

神仏習合の時代のこと、その後寺院がつくられ、「鏡観音」などとよばれていたらしいが、近代初期の廃仏の際に水に関係する守り神の鏡をまつる水神社としたとのこと。

 

 

拝観の環境

鏡はいつもは別に保管されているようだが、この日は拝殿内で拝観することができる。並んでいる順に堂内奥の安置場所の近くへと進み、近くよりよく見ることができた。

 

 

仏像の印象

この鏡は「線刻千手観音等鏡像」と呼ばれている。

形は円形に近いが、突起と切れ込みを交互に入れ、ちょうど八葉の蓮弁のようで、「八稜形」と呼ばれる形の鏡である。直径はわずか約14センチと小さなもので、制作は平安時代前期とされる。唐の鏡にならってつくられた日本製と思われる。しかし鏡面の線刻は平安時代後期のものなので、つくられてのちに鏡像に転用したものと考えれている。

 

鏡像には千手観音立像が大きく描かれる。丸く親しみを感じる顔つき、優美でやさしい腕が扇のように広がる。条帛や裳には細かく襞が描かれ、アクセサリーも多くついて、大変装飾的である。また、足下の蓮華もたいへん美しい。

その足下左右には婆数仙と功徳天が描かれる。そしてその上部には鏡の縁にそって武装した守護神が左右に4躰ずつ描かれている。

ただし、残念ながら千手観音像のまわりの眷属像は小さく、肉眼ではなかなか見づらい。

 

本像はその優美な作風から平安後期の作と推定されるが、裏面にある銘文も手がかりとなる。年は書かれていないが、作者と思われる「仏師僧崇紀」およびこれをつくらせた人として「延暦僧仁祐」「源安女子」の名前がある。

残念ながら崇紀については他の記録には見られずどのような工人であるのか不明。仁祐は、延暦寺の学僧で11世紀前半から半ばに活躍した同名の僧があり、同一人物と思われる。また源安(やすし)は平安時代中期の武人である源(渡辺)綱の孫とみられる。

 

 

その他

水神社から西へ3キロ半ほどいったショッピングセンターに隣接する大仙市中仙市民会館ドンパルという施設の2階に、水神社の鏡の精巧なレプリカが展示されていて、自由に見学できる。

鏡裏面の様子も確認することができる。

 

 

さらに知りたい時は…

「安倍・清原氏と仏教』(『東北の古代史 5 前九年・後三年合戦と兵の時代』、吉川弘文館、2016年)、窪田大介
『東北の群像 みちのく祈りの名宝』(展覧会図録)、東北歴史博物館、2009年
『図説大仙・仙北・美郷の歴史』 (秋田県の歴史シリーズ)、郷土出版社、2006年
「線刻千手観音等鏡像銘に関する一考察」(『中世の史料と制度』、続群書類従完成会、2005年)、池田寿

『日本の国宝』98(『週刊朝日百科』)、1999年1月

 『鏡像と懸仏』(『日本の美術』284)、難波田徹、至文堂、1990年1月

 

 

仏像探訪記/秋田県