白水阿弥陀堂の阿弥陀三尊像、二天王像

奥州藤原氏に関係するお堂の仏像

住所
いわき市内郷白水町広畑221


訪問日 
2020年3月27日

 

 


拝観までの道
交通はいわき駅から新常磐交通バス川平行きに乗車し約20分、「あみだ堂」下車。

バスの進行方向に少し歩くと看板が出ているので右折。徒歩約5分。
最寄り駅はいわき駅から1つ南の内郷駅で、西へ徒歩約35分。
毎月第4水曜日のほか、お寺の行事日、荒天時など拝観できない日がある。

国宝白水阿弥陀堂


拝観料
500円


お寺や仏像のいわれなど
日本史の教科書に必ず載る、代表的な阿弥陀堂建築として有名である。
この地の豪族のもとに奥州藤原氏のお姫様が嫁いできたことから、この阿弥陀堂がつくられることになったとされる。白水という言葉も奥州藤原氏の根拠地である平泉の泉の寺を分解したものという。
阿弥陀三尊像と二天王像がまつられ、堂内で拝観できる。

この阿弥陀堂は願成寺というお寺に属している。
願成寺はお堂の西側にある真言宗寺院で、境内はつながっていない。白水阿弥陀堂は願成寺の境外の仏堂ということになる。

阿弥陀堂は後ろ側を除いて、3方を大きな池で囲まれており、2つの橋を渡って行く。この池は1970年代に整備されたもの。
堂内も極楽浄土を模したものとして美しく荘厳されていたが、ほとんど剥落し、部分的な復元模写が堂内にあり、往時を偲ぶよすがとなっている。


拝観の環境
外陣からで、中尊へはやや距離があるが、二天王像は斜めからよく拝観できる。
ライトがあるが、外の光の援護があるとなおよいので、晴天の日がよい。


仏像の印象
中尊の阿弥陀如来像は像高およそ85センチの坐像。寄木造、彫眼。
光背、台座も当初のものが揃う。
顔は丸まるとしているというよりは、引き締まった感じである。姿勢よく、顔はうつむき加減にせず、しっかり前を向く。衣は流麗に流れる。たいへんバランスよい像と思う。
脇侍像は像高約1メートルの立像である。シャープな顔立ちで、細身、胴はさらに絞る。まげは低めに結っている。腰を若干ひねって立つ。

二天王像は像高約1メートルの立像。細身で、顔は小さい。向かって右の持国天像は口を閉じ、多聞天像は口を開けて歯を見せる。顔、目線は斜め下に向いている。
マントのようなものを首のまわりに着け、鎧のパーツ同士を結ぶ革ひものようなものはあまりあらわさない。
手、足、腰をとても大きく動かし、片手を上にあげ、もう片方のては腰にあてるが、それが上下の動きだけでなく前後の動きもともなっている。軽快であり、新鮮さがある。

 

 

その他

白水阿弥陀堂の建立は1160年という。根拠は近世の史料だが、建物の様式と矛盾がなく、一般的に受け入れられている。仏像も同時期の作と考えられている。

ところが、修理時に中尊台座より気になる墨書が見つかっている。台座蓮肉の上面に散らすようにして文字が書かれ、一定の形式をもった銘文というようなものではないのだが、その中に「建イ」という文字が見られるという。これを元号の「建仁」と見て、造像時に書かれたものであるならば、13世紀(鎌倉時代初期)に入っての作ということになる。台座の墨書をどう考えるべきか、気になるところである。

この台座上面の写真は京都国立博物館発行の『学叢』5号に載るが、残念ながら小さく不鮮明で、よくわからない。

 


さらに知りたい時は…

「院政期彫刻史における中尊寺造像」(『中尊寺の仏教美術』、吉川弘文館、2021年)、武笠朗

『別冊太陽 みちのくの仏像』、平凡社、2012年10月
「資料紹介 白水阿弥陀堂の阿弥陀三尊像」(『仏教芸術』260)、武笠朗、2002年1月


仏像探訪記/福島県