慶覚院の地蔵菩薩像

  高麗寺ゆかりの鎌倉仏

住所

大磯町高麗2丁目9−48

 

 

訪問日

2011年4月3日

 

 

 

拝観までの道

慶覚院(けいがくいん)は東海道線大磯駅から北東に徒歩約20分。

バス利用の場合は、大磯駅と平塚駅間の神奈中バスで「化粧坂(けわいざか)」または「花水(はなみず)」下車。交差点「高来神社入口」から北西に入りすぐ。

拝観は、法事等で出来ない場合があるので、事前連絡をしてうかがうとよい。

 

神奈川中央交通バス

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれ

平塚駅から東海道線に乗り西へ向かうと、花水川にかかる鉄橋がある。渡ると大磯町である。北側は丘陵地帯、南は狭い平野部の先はもう相模灘が広がる。

北側の丘陵地帯には高麗山(標高168メートル)などが連なり、その東南麓に高来(たかく)神社がある。古くは高麗権現社または高麗神社といい、このあたりを高麗村といった。

丘陵部には横穴墓がたいへん多く残っているそうで、また高麗という地名からもわかるように渡来系の人々が多く住んだところなのであろう。古代から栄えた地であったと思われる。

かつては高麗山山頂とその麓に高麗権現社があり、その別当寺として高麗(こま)寺があって神仏混淆の空間だったが、近代初期の廃仏の影響もあり、高麗寺は廃寺、山頂の権現社はすたれ、麓の方は高来神社と改名して存続している。

 

高麗寺は廃されたが、その観音堂本尊の千手観音像と地蔵堂本尊の地蔵菩薩像は慶覚院に伝来している。

慶覚院はもと大磯駅の南の方にあり、高麗寺の子院であったらしい。近代に火事にあい、現在地すなわち高来神社のすぐ斜め前で、もと高麗寺の地蔵堂のあった場所に移転してきた。本尊の千手観音像は旧高麗寺観音堂本尊。一木造で、平安後期の様式をもつが、傷みと補修のために時代の特定は難しいという。 12年に一度、子年の春に開帳される秘仏である。

 

 

拝観の環境

地蔵菩薩像は、本尊厨子に向って左の間に安置される。 

護摩壇の向こう側なので、やや遠目となるが、比較的大きな像のため印象はよく分かる。

 

 

仏像の印象

地蔵菩薩像は、高麗寺地蔵堂旧本尊である。

像高は150センチ弱の坐像で、右足を外して座る安座をしている。 カヤの寄木造、玉眼。

顔の内側に墨書銘があり、鎌倉後期の1278年につくられたことがわかる。

 

2007年から2008年にかけて修理が行われ、その際に後補の箔を取り去った。その結果、冗長に感じられた表情だったものが、若々しく引き締まった様子となった。

顔は面長で、小ぶりにつくり、上半身は大きく、横長と言いたいほどである。衣は胸のあたりはやや煩瑣だが、脚部では自然な衣の流れをみせる。また、脚部は足の自然なふくらみをあらわしている。

総じて、鎌倉彫刻らしい若々しさや自然な体躯の表現が見える一方、大味な雰囲気も感じられる。

像底はくり残す、いわゆる「上げ底式」である。

 

なお、本像には仇討ちで有名な曽我兄弟の十郎の恋人、虎御前の念持仏という伝承がある。

 

 

その他1

本尊に向って右には、高麗寺の旧仏であった毘沙門天像や白山権現像が安置される。また、やはり元高麗寺の仁王像(江戸時代初期)は2014年に完成した仁王門に安置されている。

 

 

その他2

すぐお隣の高来神社で2000年、神像彫刻11体が発見され、2004年より2021年にかけて修理された。うち6体は一木造で比較的保存状態がよいが、他の寄木造りの像は破損が激しく、頭部を欠くものや逆に頭部のみの像もある。寄木造像の中には1282年の年が書かれているものがある。大磯町郷土資料館に寄託され、数体ずつ常設展示室で展示される場合がある。展示されているかどうか、問い合わせてからうかがうとよい。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』13、中央公論美術出版、2017年

『大磯町文化財調査報告書』48集、大磯町教育委員会、2010年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻編』、神奈川県教育委員会、1975年

 

 

仏像探訪記/神奈川県