宝蓮寺大日堂の五智如来像と観音像

  毎年11月初旬に公開されている

住所

秦野市蓑毛674

 

 

訪問日 

2012年11月4日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

秦野市・宝蓮寺の指定重要文化財

 

 

 

拝観までの道

宝蓮寺は小田急線秦野駅のほぼ真北。秦野盆地を抜け、急峻な丹沢山系の南山裾にあるお寺である。

交通は、秦野駅から蓑毛行きまたはヤビツ峠行き神奈川中央交通バスに乗車し、「蓑毛」下車、すぐ。

 

五智如来像は、毎年11月上旬に行われている「秦野市指定文化財特別公開」の際に拝観できる(2012年の場合、11月1日から4日までだった)。

 

 

拝観料

特に拝観料等の設定はなかった。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

宝蓮寺は臨済宗寺院で、鎌倉時代末期の創建と伝える。戦乱や天災のために古記録が失われ、その歴史は不明なところが多い。本堂や庫裏は江戸時代後期の再建というが、これらは県道の南側にある。

 

一方、大日堂をはじめ、特別拝観の対象となっているお堂は、県道の北側にある。

大日堂には像高2メートルもの大日如来坐像を中心とした五智如来像(平安時代)がまつられており、このことからかつてこの地に相当な規模の密教寺院があったことが推測されるが、残念ながら、由来等不詳である。

 

丹沢山地の南の回廊ともいうべきこの地域には、ほかにも日向薬師大山寺(ともに伊勢原市)と古寺が点在する。霊山への信仰と仏教とがまざりあった結果であろうか。

 

 

拝観の環境

仁王門をくぐり、正面が大日堂である。特別公開期間中は堂内で拝観できる。

お堂の正面奥に、五智如来像が横一列に安置されている。拝観位置からはやや距離があるが、照明も設置され、まずまずよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

中央の大日如来像は、智拳印を結ぶ、金剛界大日如来像である。

2メートルもの大きな坐像でありながら、一木造(背中からくりを入れる)で、樹種はヒノキという。

なかなか印象的な顔立ちをしている。面長で、目はつり上がり気味、口はきつく結ばれる。

上半身は高く、脚部はしっかりとつくって、バランスはよいが、体のつくりはややメリハリを欠く。地方仏の大作といえる。

ただし頭頂部など、後補部分も多いようだ。

 

大日如来像の左右にならぶ四仏は、さらに地方的な雰囲気が強く、手の構えなどぎこちなさを感じる。それぞれ像高120センチくらい。一木造で、樹種は2像はヒノキだが、2像はケヤキだそうだ。

釈迦、阿弥陀、宝生、阿しゅくの4如来像と伝えるが、中尊以上に保存状態は悪く、当初の印相などは不明である。

 

堂内右手に観音像が安置される。もと境内にあった観音堂に安置されていたそうだが、現在はこのお堂に客仏としてまつられている。

像高は2メートルを越す大きな像で、一木造、内ぐりもほどこさない古様なつくりの平安仏である。手足が後補であるほか、全身で傷みが進む。しかし、このような状態となってもなお像の雰囲気が伝わるのは、像の構造がごく単純であるがゆえの堅牢さのためである。口は大きく、ほおが豊かで、しっかりとした下半身によって支えられた豊穣な造形である。

後補された下肢は本来より切り詰められているかもしれず、本当はさらに大きな像であった可能性もある。

 

 

その他の仏像

大日堂の裏手にある茶湯殿(ちゃとうでん)は、地蔵菩薩像を本尊として、ほぼ等身の大きさの十王および冥府諸像がずらりとならんで壮観である。近世の作。

毎年何躰かずつ修復をしているそうで、修復を終えた像は失われていた玉眼が入り、後補の彩色を落として、迫力ある造形がよみがえっている。

 

仁王門の二王(仁王)像は、どことなくユーモラスな雰囲気の像で、外の光や風にさらされるために傷みもあり、修復も繰り返されているようである。以前は近世作と考えられていたが、近年、平安時代にさかのぼれる古像であると考えられるようになった。

鎌倉時代以後の仁王像は、怒りの表情や体の動き、筋肉のつくりなど、誇張気味につくられるようになるが、それ以前の控えめな表現の像である。

金網越しの拝観。

 

 

さらに知りたい時は…

『秘宝 宝蓮寺十王像』、宝蓮寺発行、2004年

「謎を秘めた仏たち33 丹沢の大寺 大日堂」(『目の眼』296)、川尻祐治、2001年5月

『秦野市の仏像』(『秦野の文化財』第24集)、秦野市教育委員会、1988年

『秦野の文化財』第23集、秦野市教育委員会、ぎょうせい、1987年

『かながわの平安仏』、清水眞澄、神奈川合同出版、1986年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年

 

 

仏像探訪記/神奈川県