宝戒寺の地蔵菩薩像

  北条一門を弔うため造られた寺の本尊

住所

鎌倉市小町3−5−22

 

 

訪問日

2008年5月1日、 2019年4月28日

 

 

 

拝観までの道

鎌倉駅から徒歩15分くらい、鎌倉の鶴岡八幡宮の東にある。

 

宝戒寺ホームページ

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれ

鎌倉の寺院の中では地味で、境内もそれほど大きくないが、宝戒寺はなかなかの由緒をもつ寺である。

寺ができる前は、この場所には鎌倉幕府の執権北条氏の屋敷があった。寺のすぐ東側にはかつて東勝寺という寺院があり、幕府の滅亡の時、北条一門はここで最期の時を迎えた。その菩提を弔うために足利尊氏が創建したのがこの宝戒寺であり、南北朝時代に寺は整えられた。

戦国時代に一時衰微し、江戸時代には復興したが、近代初期の廃仏毀釈と20世紀前半の関東大震災によって大きな打撃を受けた。本堂は再建されたが、山門など、寺域の整備はまだ途上という。

 

本尊は地蔵菩薩坐像である。像内銘により、南北朝時代の1365年、三條法印憲円の作であると分かっている。憲円については他に史料がないが、名前から円派(慶派・院派とともに定朝の流れを汲み、三条仏所とも称した一門)に属する仏師と思われる。

円派は比較的穏やかな作風を維持したが、鎌倉後期以後の作例は少なく、この仏像は貴重な遺品であるといえる。銘文中に「關東寳戒寺」の文字があるため、京都で造られ、運ばれてきたと推定される。

 

 

拝観の環境

地蔵菩薩蔵と脇侍像は本堂奥の壇に安置されている。やや距離はあるが、照明もあてられているので、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

本尊はヒノキの寄木造で、像高は約90センチとほぼ等身大だが、頭部が大きく造られているためか、全体的にはむしろ小ぶりに見える。

上品で安定した作風。顔つきは優しく穏やかで可愛らしさも感じられる。

肩にかかる衣は、複雑なラインを見せている。

 

地蔵菩薩坐像の脇侍は梵天・帝釈天立像である。やはり穏やかで上品な姿の像。

この組み合わせは例がなく、何を根拠にした三尊像であるのかは不明。雰囲気は似ていて、年代的にも近いと思われるので、最初から一具であったのかもしれない。

 

 

その他

このほか、歓喜天像が伝来しているが、多くの寺がそうであるように秘仏で、歓喜天堂の中の厨子に厳重に秘され拝観できない。『神奈川県文化財図鑑 彫刻編』によれば、像高約155センチと歓喜天像としては大きく、ヒノキの寄木造、衣文の一部に土紋の跡を残すというが、この本でも写真は不掲載である。

 

 

さらに知りたい時は…

『神奈川県文化財図録 補遺篇』、神奈川県教育委員会、1987年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年

『鎌倉の文化財』6集、鎌倉市教育委員会、1974年

 

 

仏像探訪記/神奈川県