大善寺の阿弥陀三尊像

  市内に伝わる貴重な平安仏

住所

横須賀市衣笠町29−1

 

 

訪問日 

2012年6月10日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

よこすかの文化財

 

 

 

拝観までの道

交通は、JR横須賀駅、京急の横須賀中央駅から、三崎口など南方面へと行くバス(京急バス)にて、「衣笠城趾」下車、西へ徒歩10〜15分。

「衣笠インター入口」の交差点から西へ入り、トンネルを抜けて次の次の交差点「太田和街道入口」から細い上り坂の道に入って行く。

 

京浜急行バス

 

拝観は、ご在宅のことが多いので、その時に声をかけてくれればよいとおっしゃていたが、念のため事前に連絡して行くのがよいと思う。

 

なお、大善寺からさらに先に進むと、大楠山へと至るハイキングコースとなっている。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれなど

三浦半島の中央部にある衣笠城跡は、鎌倉時代、北条氏のライバルであった三浦氏の本城であった。13世紀半ばの宝治合戦で三浦氏本家は滅亡、衣笠城も廃城となった。

 

大善寺はこの衣笠城の南口にある。おそらく、城の護持を担当した寺院であったのであろう。

曹洞宗寺院だが、かつては真言宗だったようで、そのなごりで現在も護摩を焚くことがあるそうだ。

本尊は不動明王像だが、これは近代にうつされてきたもの。ここで紹介する阿弥陀三尊像がこの寺院の本来の本尊である。

 

 

拝観の環境

阿弥陀三尊像は、本尊に向って左の間に安置され、照明もあり、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

この三尊像は、後補部分が多く、その中では中尊に向って右に立つ観音菩薩像が比較的当初の姿をよくとどめている。横須賀市内の仏像中、平安時代にさかのぼる貴重な遺例である。古い写真を見ると、表面がまだらに見えて痛々しかったが、補修されて、肉身部は漆箔、着衣部は黒漆塗りで仕上げられている。

像高は約90センチ。一木造(内ぐりあり)、彫眼という古様なつくりであり、12世紀頃の作と思われる。

手は長く、蓮台(亡失)をささげ持つ構えだが、後補にかわっている。足先も後補。

目はやや寄り眼で、そのためにややクセのある顔立ちに見せているが、そのほかは誇張がなく、如来に付き従うつつましやかな像という感じである。腰をわずかにひねり、片足を少し出して、動きを表現する。

まげは低く結い、鼻や口も小ぶり。口もとはやさしい微笑みをたたえていて、可憐さを感じる。条帛は細く、下半身の衣の線も浅く、おだやかな中に楚々とした美しさを感じる仏像である。

 

中尊の阿弥陀如来像は、90センチくらいの大きさの坐像である。大粒の螺髪、玉眼、来迎印を結ぶ。観音像と同じ時期の像であるが、体の部分のみ古く、頭などは近世に補作されているらしい。

背面の衣には、かなりしっかりと翻波式衣文が刻まれているそうで、本来は本格的な平安仏であったことがしのばれる。

向って左の勢至菩薩像も、古い部分を用いながら、頭部の前面部分など観音像にならって補作されている。

 

 

その他

このお寺には毘沙門天像として伝わる像がある。平泉・中尊寺金色堂の天部像と似るとして、近年知られ、2010年に神奈川県立金沢文庫で特別公開された。現在も同館に寄託中。

 

 

さらに知りたい時は…

『新横須賀市史 別編 文化遺産』、横須賀市、2009年

『よこすかの文化財』、横須賀市教育委員会、2007年

『かながわの平安仏』、清水眞澄、神奈川合同出版、1986年

 

 

仏像探訪記/神奈川県