元箱根石仏・石塔群

  見学コースが整備されている

応長地蔵
応長地蔵

住所

箱根町元箱根提灯山

 

 

訪問日

2007年11月24日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

 箱根町観光協会・元箱根の石仏群

 

 

 

拝観までの道

箱根湯本駅前の3番バス乗り場より、宮ノ下・小涌谷経由元箱根港・箱根町方面行き箱根登山バスに乗車して約35分(ただし観光シーズンなどは渋滞のため時間がかかる場合がある)。「曽我兄弟の墓」または「六道地蔵」バス停で下車すると、元箱根石仏・石塔群はすぐである。

バスの本数は多い。観光地らしく土日は特に頻繁に出ている。

小田原駅東口からのバスもあるが本数は少なくなる。

 

箱根登山バス

 

 

拝観料

なし

 

 

仏像のいわれ

ここは東海道の箱根越えの難所だったところである。中世には京から鎌倉への長旅の最後の難関であり、旅人は急坂と箱根の火山岩の落石に苦しみ、命を落とす者もあった。このため、地蔵信仰の高まりとともに多くの石仏・石塔が造られていった。

元箱根石仏・石塔群は、鎌倉時代までさかのぼることができる重要な作例であるばかりか、時代が特定され、まとまった形で残り、しかも摩滅などが進んでいない良い状態のものが多く、大変貴重である。

 

 

拝観の環境

1988年から1992年に調査、その後1997年まで整備が行われた。これにより遊歩道や解説のパネル、さらに道の両側に磨崖仏があるところにはトンネル通路が作られていて、見学しやすい環境となっている。

ただし、「二十五菩薩」は遊歩道からの、「六道地蔵」は覆屋の入口からの距離があるため、双眼鏡のようなものがあるとよい。「応長地蔵」および石塔群はすぐ近くで見ることができる。

また、六道地蔵バス停の脇にガイダンス棟(保存整備記念館)がつくられ、この地の地蔵信仰をイメージ化した展示や調査・整備事業を解説したパネルを見ることができる(無料。トイレあり)。

見学は自由だが、ガイダンス棟→六道地蔵→応長地蔵→宝篋印塔→二十五菩薩→曽我兄弟の墓の順に進むとスムーズである。

 

 

仏像の印象1(六道地蔵、応長地蔵)

バス停の名前にもなっている「六道地蔵」は、3メートル以上の像高をもつ坐像であり、この地区の石仏群の中心的存在である。輝石安山岩という固い石から丸彫りに掘り出し、安定した姿であり、拝観者と目線をあわせるように頭は少し前傾している。像の右側に1300年の年記を含む銘文があるというが、残念ながら肉眼では判別できない。鎌倉時代の石仏の中でも最大で保存もよく、また造像年が分かっているものとして、大変貴重である。

この石仏にはもともと覆屋が架けられ、室町期には拡張されたりもしたようだが、江戸後期に焼失してその後は露座であった。近年保存のための工事が行われ、現在では室町期の覆屋が復元されている。また、調査によって像の蓮台の下より大きな岩座が現れ、この部分まで見ることができる。ただし、覆屋の中は暗く、また上述のように像まで若干距離がある。

 

ガイダンス棟から精進池を左手に遊歩道を進むと、「応長地蔵」(別称「火焚き地蔵」)、「多田満仲の墓」と俗称される石造宝篋印塔、そして「二十五菩薩」が次々と姿をあらわす。

「応長地蔵」は、50センチほどの大きさと15センチほどの大きさの2体、合わせて3体の地蔵菩薩立像を安山岩に刻んだもので、1311年に60人が結縁して造像したものであることなどの内容の銘文をもつ。像はよく整った姿であり、像の左側に刻まれた草書体の「應長元年」の文字もよくわかる。

 

二十五菩薩
二十五菩薩

仏像の印象2(多田満仲の墓、二十五菩薩、曽我兄弟の墓)

宝篋印塔(「多田満仲の墓」と俗称)は、上から相輪、露盤、笠、塔身、受台、地覆からなるが、そのうちの塔身の部分に仏坐像が彫られている。柔和な印象の像である。

その下の受台に長文の銘が刻まれている。判読しずらい部分も多いが、供養導師として良観上人、工事担当者として大蔵安氏の名前が見えるのが貴重である(良観の名は北面、大蔵安氏の名は南面にある)。

良観は鎌倉・極楽寺に住した西大寺流律宗の僧、忍性のことであり、「大蔵」はこの宗派のもとに組織されたすぐれた石工の集団であった。また、1296年や1300年をさす年も刻まれている。

 

「二十五菩薩」と称されている磨崖仏群は、安山岩の巨岩に刻まれた地蔵菩薩立像24体、阿弥陀如来立像1体、そして供養菩薩像と考えられている横向きの小像が1体で、大きさは90センチから20センチまでまちまちである。

4カ所に銘文があるというが、遊歩道からでは判然としなかった。銘文の中には鎌倉後期の1293年、1295年の年記が見られるそうで、このころから南北朝時代にかけて造り足されていったものではないかと考えられる。

これほど多くの像が居並ぶさまは壮観である。ただし道路によって二分されており、精進池から続く遊歩道沿い(西側)に23体、トンネルで東側に出てほんの少し道沿いに戻ったところに3体が刻まれている。

 

このトンネルから出たところに「曽我兄弟の墓」バス停がある。そこから続く歩道をもう少し先(芦の湯方面)へと進むと、鎌倉時代の仇討ちで有名な曽我兄弟とゆかりの女性である虎御前の墓といわれる3基の五輪塔がある。大変整った美しい石塔である。

「虎御前の墓」に銘文があり、実際には曽我兄弟よりもあとの時期である1295年につくられた地蔵信仰の石塔であることが記される。「曽我兄弟の墓」と呼ばれている2つの五輪塔には地蔵像と思われる立像が刻まれている。五輪塔に仏像を刻む例は大変珍しい。

 

 

さらに知りたい時は…

「元箱根磨崖仏について」(『国華』1216)、根立研介、1997年

『元箱根石仏・石塔群の調査』(『箱根町文化財研究紀要』25)、箱根町教育委員会、1993年

『元箱根石仏・石塔群の調査・研究』、東海大学教養学部芸術学科、1993年

『全国、石仏を歩く』、庚申懇話会、雄山閣出版、1990年

『箱根の石仏』、澤地弘、神奈川新聞社かなしん出版、1989年

『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年

『石仏』(『日本の美術)147)、鷲塚泰光編、至文堂、1978年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年

『箱根町誌』1、箱根町誌編纂委員会、角川書店、1967年

 

 

→ 仏像探訪記/神奈川県