鶏足寺世代閣の薬師如来像

  奈良時代の木彫のほほえみ

住所

長浜市木之本町古橋

 

 

訪問日 

2011年3月28日

 

 

 

 

拝観までの道

鶏足寺の収蔵庫である「己高(ここう)閣、世代(よしろ)閣」は、木ノ本駅の東方、レンタサイクル(駅東口の観光案内所にある)で20〜25分。

バス利用の場合は、木ノ本駅から湖国バス金居原線で「古橋」下車。日中およそ2時間に1本程度。

 

木之本観光案内所

 

 

拝観料

己高閣・世代閣共通で500円

 

 

お寺のいわれなど

己高閣、世代閣は、木之本の町の北東にそびえる己高山(こだかみやま、標高923メートル)にかつて栄えた山岳寺院関連の遺宝を伝える文化財収蔵庫である。

先につくられたの己高閣は行政の補助を受けての建設であったが、1989年に己高閣の背後に完成した世代閣は地元の力でつくったものだそうだ。己高閣よりひとまわり大きく、収蔵品も多く、絵画や古文書は各季ごと展示替えを行っている。

 

 

拝観の環境

彫刻は一部ケース内に置かれるが、薬師如来像など主要な仏像はケースなしで展示されていて、近くからよく拝観できる。

春、秋など庫内は寒いので、暖かい服装でお出かけになることをお勧めする。

 

 

仏像の印象

世代閣の中央、本尊のように安置されている薬師如来像は、この地域にあった世代山岩戸寺の旧仏である。しかし、それ以前この像は己高山仏教寺院の中心寺院のひとつであった法華寺の旧本尊であったと考えられている。

一木造の本格的な木彫で、像高は約180センチ。樹種はカヤ。奈良時代の貴重な木像の遺例である。

一見して、薄い衣の表現や太ももの量感が、奈良・唐招提寺に残る木彫群のうちの伝薬師如来像を想起させる。この地域の山岳仏教信仰が奈良時代からのものであり、南都仏教との深いつながりによって成立したことを思わせる。

 

顔が小さい印象だが、螺髪がすべて失われている(もともと漆でつけられていたものか)ので、本来は体とのバランスのよい頭部の大きさだったと思われる。

優しい目、微笑みをたたえた口もとは、唐招提寺木彫群に共通する。鼻筋が通って立派で、頬には張りがあり、どことなく大陸的な風貌に思える。耳も大きく立派である。面奥は深い。

上半身、下半身も堂々として、衣は肌にぴったりとついて、太ももの付け根から両膝の間へと流れる衣の線はが極めて美しい。太ももの量感が強くでる力強い右半身と腕から下がる衣の襞の線が強調される左半身とも対照の妙もみどころである。

ただし、実はこの像は後補部分が多い。特に下半身は向って右側を中心に大幅に補修を受けている。幸いにも向って左側(右半身)の太ももや流れる衣が当初部分なので、それにならって修補されている。言われなくては気がつかない、みごとな修理であるが、後補部が多いということは、この収蔵庫が安住の場所となるまでにこの仏像が経て来た厳しい歴史の流れをうかがわせる。

 

 

その他の仏像について

世代閣には、破損仏も含めて多くの仏像が安置されているが、以下主な像について紹介する。

 

薬師如来像に向って右に安置されている神将像3躰は、十二神将像のうちの3躰のみが残ったものと伝えられているが、あるいは本来は四天王像であったのかもしれない。

珍しい木心乾漆像。像高は90センチ前後で、腕は取れ、表面の乾漆もかなりはげ落ちていて、痛々しい姿ながら、天平彫刻らしい存在感を放っている。

頭体のバランスがよく、表情やポーズには誇張がない。いかにも天平の理想的な造形を受け継いでいるという佳品である。腰のつくりは太く、安定感があるといえばそうだが、やや鈍重な感じは奈良というより平安前期彫刻に近い。奈良末から平安初期時代の作ということになろうか。

技法といい、整った姿といい、奈良の仏教文化の直接的な影響が考えれ、己高山の山岳仏教発祥を考える上で貴重な遺品である。

 

さらに右手に安置されている魚藍観音像は、像高約160センチの立像。平安前期の一木造である。背ぐりをほどこす。

この像は、天台宗開宗1200年を記念し、京都と東京の国立博物館で催された「最澄と天台の国宝」展(2005〜2006年)にも出品された。

三十三観音のひとつ、魚藍観音と伝えられるが、これは唐の時代に法華経を広めるために女性として出現した観音だそうで、左手に魚を入れる籠を下げる(後補)。もともとの尊名は不詳。頭上面を挿したあとがあり、十一面観音だった可能性がある。

かつては表面は後世に塗り直され、目もぎょろりとしていたが、修復され、落ち着いた感じになり、左右の腕のつき方も修正されて優美になった。

丸顔だが、なかなか厳粛な表情である。髪は大きく結い、帽子をかぶっているように感じる。上半身には、一般に菩薩が着けている条帛をまとわない。

胸の量感が豊かで、その下で強くくびれ、腹には2本の線が横切る。下肢は長く、安定感があり、膝下の衣の線は粘りのある曲線を描く。

 

向って左手に並ぶ十社権現像は、20〜30センチほどの坐像10躯で、もと己高山の山頂付近の権現堂に安置されていたという。今日までそろって伝来したことはまことに貴重である。かつては正月やお盆など特定の時期に公開していたそうだが、現在はいつも展示をしているそうだ。箱形の厨子内に安置され、ガラス越しの拝観となる。

10躰の神様はそれぞれ如来形、菩薩形、明王形、僧形、動物の姿で表されている。如来形や菩薩形の像も口をきつく結んで強い力をあらわし、衣の襞は最少限しか刻まないなど、神であることを示している。馬頭観音の姿をした横山大明神はヤンキー坐りだし、「日吉大宮」は猿の姿である。世代大明神は如来の顔だが、両手は胸前で衣に隠す。伊香具大社は地蔵菩薩の形象だが、その顔つきは厳しく、地蔵のもつ優しさをまったく感じさせない。

平安後期ごろの像と思われ、当時の人が神をこのような像の姿で考えていたのかと思うと、大変面白い。

 

 

さらに知りたい時は…

『平安時代前期彫刻』(『日本の美術』457)、岩佐光晴、至文堂、2004年6月

『鶏足寺の文化財Ⅱ<美術工芸編>』、木之本町教育委員会、2003年

『木之本の文化財Ⅰ(杉野/高時編)』、木之本町教育委員会、2002年

『鶏足寺の文化財Ⅰ<美術工芸編>』、木之本町教育委員会、2001年

「滋賀・鶏足寺仏像群」(『日本美術工芸』666)、井上正、1994年3月

「滋賀・鶏足寺薬師如来立像」(『日本美術工芸』665)、井上正、1994年2月

「滋賀・鶏足寺の木心乾漆十二神将像について」(『Museum』437)、高梨純次、1987年8月

『近江の仏像』(『日本の美術』224)、西川杏太郎、至文堂、1985年1月

 

 

仏像探訪記/滋賀県