渡岸寺観音堂の十一面観音像と観音の里資料館

  平安木彫を代表する仏像

住所

長浜市高月町渡岸寺50(渡岸寺観音堂)

長浜市高月町渡岸寺229(高月観音の里歴史民俗資料館)

 

 

訪問日 

2008年12月20日、 2016年11月6日

 

 

 

拝観までの道

渡岸寺(どうがんじ)は、JR北陸本線の高月駅東口から北東に約10分のところにある。

十一面観音像は観音堂に向って左側の収蔵庫でお会いできる。

 

 

拝観料

500円

 

 

寺や仏像のいわ

仁王門、観音堂、収蔵庫があるが、お寺の由来はよくわからず、現在はすぐ近くの向源寺に属す。

この寺に伝わる十一面観音像もまた、由緒、伝来等不明の仏像である。国宝指定。

全国に国宝指定されている十一面観音像は7躰あり、この像のほかは京都・六波羅蜜寺像、観音寺像、奈良・法華寺像、聖林寺像、室生寺像、そして大阪・道明寺像である。すべて8〜10世紀、奈良時代後期から平安時代前期の作で、どの像も日本の仏像を代表する美しい像だが、とりわけ多くの人を魅了してやまない像がこの渡岸寺観音堂の十一面観音像である。

 

 

拝観の環境

収蔵庫は2006年に新たに建てられたもので、理想的な照明のもと、近くから、また側面、背面もよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は2メートル弱、一木造(樹種はヒノキ、頭髪部に乾漆を併用)。平安時代前期、9世紀ごろの作である。

この像の最大の特色は、十一面の相、配置、大きさである。

十一面観音像の多くは頭上に十一面をつくり、本面と合わせると十二面になるものが多いが、この像では本面合わせて十一面であり、本面の左右に2面、地髪部上に6面、髷の上に1面、そして裏側に1面を配する。裏側の1面は大笑面(暴悪大笑面)で、その不気味ともいえる笑いっぷりは他に類を見ない。また、通常頭上に置かれるものが、後頭部中央につけられているのも変わっている。

一番上の面は仏頂面といわれ如来相であらわすことが経典で決められているが、この像は不思議なことに菩薩相であり、その冠には五仏をつける。

本面横の面は大変大きいが、頭上の面もかなり大きく、それぞれ冠に如来像をいただくので、顔から上が非常に大きい。しかしそれが異様でなく、それどころか自然に見えているのがすごいところである。

 

顔は美しく、大きな耳飾りをつけているのは異国風である。精巧な胸飾りは別材であるが、当初のもの。体は細身に見え、特に腰は細い。ところが側面から拝観すると堂々とした量感があり、また絶妙な姿勢で立っている様子がよくわかる。背面からは、腰のくびれとそこに吸い付くように巻かれている条帛の様子が大変美しい。

下肢の衣の襞(ひだ)は太く重たい感じの波と細い波が交互につくられている翻波(ほんぱ)式衣文であるが、その細い波は弱い感じでなく、触ると手が切れそうなほどというとちょっと大げさだが、強い鋭い線で、大変魅力的である。背面の衣の流れもとても美しい。なお、手先は後補である。

 

この像の特異な姿は、最澄の後継者として天台密教の発展におおいに力のあった円仁の思想に関連すると考え、円仁の唐からの帰国後である9世紀なかばの作であり、初期天台宗の木彫の貴重な作例であるという説が強い。

一方、頭髪に一部乾漆が使われていることや、垂下する天衣のカーブのしかたが奈良時代の仏像に見られる形であることから、天台宗というよりは奈良の仏教勢力を背景に造像されたのではないかという見解もある。

 

 

その他の仏像

収蔵庫にはこのほか、厨子に入った十一面観音像の小像、半丈六の大日如来像なども安置されている。厨子入りの十一面観音像は檀像風の作で、切金が美しく残る。大日如来像(胎蔵界の大日如来)は平安後期の穏やかな像だが、側面観はなかなか量感豊かである。

 

観音堂には半丈六の阿弥陀如来坐像、仁王門には金剛力士像が安置されている。いずれも平安期の作である。

 

 

高月観音の里歴史民俗資料館について
渡岸寺観音堂の仁王門のすぐ東にある。原則火曜日休館。入館料は300円(渡岸寺観音堂の拝観券で割引あり)。

開館は1984年。

旧高月町内(2010年に長浜市と合併)から多くの仏像や神像が寄託されている。比較的小さく、また地方的な像がほとんどであるが、なかなか味わい深いものがあるので、渡岸寺に行ったついでにと言うと失礼だが、寄るとよい。
 
高月観音の里歴史民俗資料館
 


寄託されている仏像・神像について
町の南部、宇根の春日神社蔵の神像4躰はともにヒノキの一木造で、内ぐりはほどこさない。女神像のみ坐像で像高30センチ弱、男神像3躰は50センチ内外の立像である。
 女神像は頬や上半身に豊かな肉付きを見せ、髪を中央で分けて2つにまとめ、肩からたらす。神様というより、一時代前(もっと前か)の清楚な女性のごとき美しさである。
 男神像はそれぞれそのしぐさから「首を傾げる男神」「目をつむる男神」「顎髭をたくわえた男神」と呼ばれる。そのとおり、首を傾げる男神像は上半身はややひねり、首は斜め上を向いて、思案の最中なのか、とぼけてみせているのか、女神像同様神様というよりもっと身近な存在のようである。手は袖の中に入れていて、もともとは笏を持っていたらしい(亡失)。
 目をつむる男神像も手を袖の中にいれているのは同じであるが、首の傾きは少なく、わずかに斜め上を向き、目をとじている。やはり親しみを感じる像である。顎髭をたくわえた男神像は手を失っている。直立し、顎髭を三角形に長く伸ばし、立派な冠をつける。襟もとを立てているのは神様のしるしであろうか。顔の表情は渋い。
いずれも平安時代後期から鎌倉時代の作と考えられる。

 

そのほかの寄託作品としては、横山神社の馬頭観音像。像高約1メートルの立像で、顔つきや頭上の馬の像が親しみを感じる地方作である。
また、旧高月町内井口地区の日吉神社の山王二十一社の本地仏は2躰失われ、19躰となっているが、これだけ揃って伝来している例は珍しい。いずれも像高16から30センチの小像で、中世から近世にかけての作。

 

これらの像は交替で展示されている。また特集陳列として、テーマを定めた展覧会が行われることもある。

 

さらに知りたい時は…

「向源寺蔵 木造十一面観音菩薩立像」(『国華』1407)、井上一稔、2013年1月

「日本古代における木彫像の樹種と用材観Ⅲ」(Museum』625)、金子啓明ほか、2010年4月

『渡岸寺観音堂』(お寺発行の冊子)、2007年

『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館・読売新聞社、2006年

『高月町史 景観・文化財編』分冊2、高月町、2006年

「向源寺十一面観音像の風景」(『近畿文化』611)、紺野敏文、2000年10月

「渡岸寺十一面観音立像小考」(『近江の美術と民俗』)、山名伸生、思文閣出版、1994年

「木造十一面観音立像」(『文化庁月報』195)、松島健、1984年12月

「渡岸寺十一面観音菩薩立像の性格について」(『滋賀県立琵琶湖文化館研究紀要』2)、井上一稔、1984年3月

 

 

仏像探訪記/滋賀県