真教寺の阿弥陀如来像

  「足利の文化財一斉公開」で拝観できる年も

住所

足利市助戸3丁目482

 

 

訪問日 

2010年11月20日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

とちぎの文化財

 

 

 

拝観までの道

真教寺はJR足利駅から東へ徒歩約15分。東武線の足利市駅からは、渡良瀬川を渡り、JR足利駅の前を通って、徒歩約30分。

 

本尊の阿弥陀如来像は、普段は非公開。「足利の文化財一斉公開」の際に公開されることがある。

この文化財公開は2006年以来、毎年11月下旬に行われている。2010年には11月20日、21日の2日間行われ、寺社、教会、住宅建築、庭園、石造仏、資料館、史跡など計60ヶ所が公開された。真教寺の阿弥陀如来像については、20日(土)の午後に公開が行われた。

これまで真教寺はこの事業に1年おき、偶数年に参加してきたそうである。今後もそうであるならば、次は2012年ということになるが、何ぶんお寺のお考えとご都合によることなので、これからについては不明というほかはない。11月の公開事業が近くなったら、足利市の公式ホームページで確認するか、または足利市教育委員会文化課(文化財保護担当)に問い合わせのこと。

 

 

拝観料

特に拝観料の設定はなかった。

 

 

お寺や仏像のいわれ

時宗のお寺だが、もとは真言宗だったと伝える。

本尊・阿弥陀如来立像は快慶の作。関東に伝来する唯一の快慶仏としてつとに有名である。

寺伝では足利義兼(鎌倉時代初期に活躍した御家人で、妻は北条政子の妻)の護持仏だったという。

 

 

拝観の環境

真新しい本堂の奥の厨子中に安置される。

堂内は明るいが、外陣からの拝観でやや距離がある。

 

 

仏像の印象

像高は約1メートルの立像で、手は来迎印。いわゆる三尺阿弥陀像である。

頭髪、顔つき、頭体のバランス、衣の流れのすべてについて美しく、同時に生気ある姿をした、いかにも快慶の仏像である。

衣は胸のあたりはすっきりとまとめ、腹部は襞(ひだ)を重ねて動きを出し、下半身と腕から下がる部分はまたすっきりシンプルに決める。

全身を覆っていた金やその下塗りはほとんど落ち、手足には後補部分があって、この仏像が経て来た歴史を思わせる。

 

像内に銘文がある。首の部分、前後に造立当初の銘と江戸時代の修理銘が書かれる。

1960年代に修理が行われ、この銘が発見された時には、修理銘の「恵心作」の文字からこちらが作者の可能性があると思われたのか、快慶の仏像であるとの認識に至らなかった。その後の研究の進展によって、快慶初期のアン阿弥陀仏の銘であるということが明らかになった。

胸のあたりの衣がすっきりまとめられているのも快慶の初期の阿弥陀像の特色であり、12世紀末から13世紀初頭の作と考えられる。

なお、脇侍は近世の補作。

 


徳蔵寺五百羅漢堂
徳蔵寺五百羅漢堂

徳蔵寺と正善寺

筆者はこの文化財公開で、徳蔵寺と正善寺もあわせて訪れた。

真教寺の東南、徒歩35分くらいのところ、徳蔵寺は猿田町、正善寺は常見町というところにある(なお、この文化財の公開期間には無料の循環バスも運行されていた)。

 

徳蔵寺は天台宗の寺院。このお寺には江戸時代の五百羅漢像がある。東京・目黒の五百羅漢寺の像よりはよほど小さいが、五百羅漢堂の中央、階段ピラミッド状の壇にずらっと並んで壮観である。

このお寺にはそのほかに石像の文化財もある。また卓球の行事が有名で、「ピンポン寺」と呼ばれたり、愛染堂の前には「お賽銭電話」(10円か100円を入れると、鐘の音が聞こえる)というのが置いてあったりといろいろユニークなお寺である。

文化財公開期間以外も事前連絡で拝観できる。

 

* 徳蔵寺ホームページ

 

正善寺は徳蔵寺の東、徒歩10分ほどのところにある。天台宗。

本堂の左右に小山があり、墓地が設けられているが、これは古墳なのだという。この地域最大級の前方後円墳(正善寺古墳)のくびれの部分にお堂がつくられていて、あたかも古墳に抱かれているよう。

本尊は定印の阿弥陀如来坐像で、近年に日光の輪王寺から移されて来た像。玉眼が用いられ、鎌倉時代の仏像と分かるが、肉髻が大きく、また体躯も幅広につくられていて、地方的な造像と思われる。

毎年この文化財公開の際に拝観できるとのこと。

 

 

さらに知りたい時は…

『快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年

「真教寺蔵 木造阿弥陀如来立像」(『国華』1339)、三宅久雄、2007年5月

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』2、中央公論美術出版、2004年

『足利の文化財』、足利市教育委員会、1987年

「足利・真教寺の快慶作阿弥陀如来立像」(『Museum』430)、山本勉、1987年1月

 

 

→ 仏像探訪記/栃木県