中禅寺波之利大黒天堂の千手観音像

  鎌倉中期の在銘仏

住所

日光市中禅寺歌ケ浜2578

 

 

訪問日 

2010年8月9日 

 

 

 

拝観までの道

中禅寺までは、中禅寺の立木観音の項をご参照ください。

 

中禅寺本堂の本尊は勝道上人が立木から刻んだとの伝承をもつ大きな千手観音像で、こちらは通年拝観可。

一方、本堂に向って右側の波之利(はしり)大黒天堂の千手観音像を拝観するのは、事前予約が必要。

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺や仏像のいわれ

中禅寺は日光・中禅寺湖の東側にたっている。もと北側にあったというが、近代の山津波のために現在地に移って来たという。

険峻な地形によって容易には人を近づけないこの場所は、太古から神秘の地と考えられていたのだろう。観音の浄土であるともされたこの地を開いたのは、奈良時代後期に活躍した僧・勝道である。彼は霊山・男体山に登頂し、また中禅寺を開創したが、その際中禅寺湖上に大黒天が出現して勝道を導いたという。この大黒天をまつっているのが中禅寺の波之利大黒天堂である。本尊の大黒天像はきわめて厳重な秘仏で、住職さえ見たことがないとのこと。

 

このお堂の外陣に、高さ1メートルあまりの小ぶりな千手観音立像が安置されている。

もとは湖の西岸にあった千手堂というお堂の本尊まつられていた像であるらしい。お堂は老朽化して20世紀後半に取り壊されたために移されて来たとのこと。

 

 

拝観の環境

お堂の中は明るく、間近で側面からも大変よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は110センチ弱と小ぶりな立像だが、なかなかの存在感を示す。ヒノキの一木造で内ぐりを施すという古様なつくりだが、玉眼を入れている。

 

理知的な顔つきで、破綻のない、安定した姿の像である。表情を形作る顔の凹凸など写実的であるが、リアルすぎて圧倒されるということはない。玉眼がすがすがしく、正面にすわるとしっかりと目があう。

胴のくびれや腰のボリューム感もリアルで、力強い安定感がある。

正面で合掌した手がぐっと前に出て、脇手も一列め、二列めは前の方へと出す。像の前面に動きのある豊かな空間が生み出されている。おとなしい平安後・末期時代の千手観音像とはあきらかに異なっている。

天衣は下半身を横切らず、腕からそのまま垂下する。裙の襞(ひだ)もおとなしく、この時代によく見られる宋風の奔放さはない。裙の折り返しは大きく、下肢へと至る。

表面は金色の輝きをよく残すが、後補である。そのほか、足先や、手先・指先は後補である部分が多い。

 

頭上に10面をいただく。頂上に1面、2段めに3面、3段めに6面である。こうした構成も珍しいものと思うが、本当に変わっているのは、頂上仏面のほかの頭上面が本来菩薩面であるはずのところ、全部仏面なのである。非常に珍しい姿と思う。

実はこの頭上面は後補である。従って本来は菩薩面であったのかもしれない。しかし後補であっても、当初の造形を引き継いで補われたという例は多い。むしろこのような特異な姿をわざわざとっているのは、何らかの理由があったからということは十分考えられることである。

 

 

銘文について

足のほぞに短い銘文があり、造像の年と思われる建長二年(鎌倉中期の1250年)の年とおそらく造像を主導した人物と思われる「勧進 禅南房 禅玄」の名が書かれる。禅玄については不詳だが、禅南房はかつて存在した日光山の子坊であるので、そこに属した僧侶であろう。

 

 

さらに知りたい時は…

「木造千手観音菩薩立像」(『国華』1367)、萩原哉、2009年9月

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』6、中央公論美術出版、2008年

「頭上に十の仏面をいただく千手観音像」(『青山史学』21)、萩原哉、2003年

 

 

仏像探訪記/栃木県