福昌寺の阿弥陀石棺仏

近畿地方から運ばれてきた

住所
渋谷区東3-10-13


訪問日 
2025年4月22日

 


この仏像の姿は(外部リンク)
渋谷区・区指定文化財


拝観までの道
交通は、JRまたは東京メトロ恵比寿駅より北へ徒歩5分ほど。渋谷川を渡り、明治通りの「渋谷橋」という大きな交差点を歩道橋で超えた北西にある。


拝観料
特になし


お寺や仏像のいわれなど
福昌寺は曹洞宗寺院で、創建は安土桃山時代ごろという。山号は渋谷山。
このお寺には石棺仏が伝えられている。石棺仏の分布はほぼ近畿地方に限られ、東国で見られるものは少ない。東京ではここだけといい、関東地方まで広げても埼玉にあと1件あるのみという(深谷市岡林寺の墓地入り口にあるというが、筆者は未見)。
本像は戦後に造園業者の方が福昌寺に寄進したものだそうで、もとは和歌山県北部地方にあったとも伝える。


拝観の環境
石棺仏は門を入った左手に安置され、日中自由に拝観できる。


仏像の印象
180センチほどの高さの石材に1メートルくらいの像高の仏像を刻む。来迎印を結ぶ阿弥陀如来像である。上部や左右が矩形に張り出しており、古墳の石棺のふたの内側を用いた石仏であるとわかる。色は、全体に黄色味を帯びている。
頭体のバランスがよく、姿勢良く蓮華座上に立つ。輪郭はくっきりとして、立体感があるが、目鼻や衣の様子などの細部については摩滅が進んでいる。とはいえ、全体的には保存状態は良い。
右手から足まで下がる衣は厚みを感じさせる。また、足先の上側に見える裙の打ち合わせや大きな足、また蓮華座の蓮弁の様子などからは力強さが感じられる。


その他(石棺仏について)
石棺仏とは、中世あるいは近世に古墳から出土した石棺の一部を用いて石仏を彫って立てたものである。石仏でなく、梵字や南無阿弥陀仏などの文字を刻んだものもある(石棺板碑)。家形石棺などと呼ばれる石棺のふたの裏側に石仏を彫ったものが多く、尊像としては阿弥陀仏、地蔵尊が多い。また、石材は兵庫県南部で算出される竜山石、高室石と呼ばれるものであるものが多い。福昌寺の石棺仏もこれらに当てはまる。
本来石棺としてつくられた堅牢な石材であり、ふたの裏側の中央部に仏像を高浮き彫りにすると仏龕のように見え、都合がよかったのであろう。
石棺仏は兵庫県南部地方に多い。「兵庫県南東部にみられる石棺仏とその謎」に付された表によると、石棺仏と石棺板碑は157例知られており、そのうちの140例、すなわち実に90%が兵庫県内にある。他には奈良県、大阪府、滋賀県、京都府にそれぞれ少数分布する。つくられた時代は、平安時代から江戸時代に及んでいる。


さらに知りたい時は…
「兵庫県南東部にみられる石棺仏とその謎」(『龍谷大学考古学論集』Ⅲ)、藤原清尚、2020年


仏像探訪記/東京都